2017-01-16から1日間の記事一覧

戦後、わたしは、どんな解放感もあたえられたことはない。聖書があり、資本論があり、文学青年の多聞にもれず、ランボオとかマラルメとかいう小林秀雄からうけた知識の範囲内での薄手な傾斜があり、仏典と日本古典の影響があつた。戦争直後のこれらの彷徨の過程で、わたしのひそかな自己批判があつたとすれば、じぶんは世界認識の方法についての学に、戦争中、とりついたことがなかつたという点にあつた。おれは世界史の視野を獲るような、どんな方法も学んでこなかつたということであつた。(過去についての自註)

吉本にとっての敗戦は、こころの底から信じ込んでいたものが間違いであったと気づかされたということでした。日本の軍国主義が教え込んだ歴史や世界や現状というものが、間違いに充ちたものだと気づいた。それは宗教団体のなかで育って、まったく疑うことな…

ひそかに経済学や哲学の雑読をはじめたのはそれからであり、わたしは、スミスやマルクスにいたる古典経済学の主著は、戦後、数年のうちに当つている。いま、それらのうち知識としては、何も残つていないといつて過言ではない。このような考え方、このような認識方法が、世の中にはあつたのか、という驚きを除いては。(過去についての自註)

副島隆彦が述べていたことで「それだ」と思ったことがあります。日本人の評論家というのは、自分を問題の外側に置いて語るやつが多いということです。自分の立場をはっきりさせないで、問題の枠外に超然としているように語る。それを知的とか思っている。欧…