批評家にとつて〈環境〉のなかにおける〈対象〉といふ主題は、常に魅力的である。併しこの場合、〈対象〉は無意識家または無意識的な作品であることを必要とするであらう。そうでないならば〈環境〉のなかにおける〈対象〉といふ主題は、必然的に批評家自身の宿命像の抽出に転化されてしまふ。(〈批評の原則についての註〉)

「環境」というのは時代とか社会とかその作家の生育史とかそういうものだと思います。そういう環境についての自意識がなく、あるいは自己分析がないのが無意識家、無意識的な作品というものです。もしたいへん自意識的な作家が自らの環境も十分に意識して作品を作り上げたとすると批評家はやることがない。批評家は自分自身の宿命像を自らえぐり出すことしかそうした自意識家に対することができない。そんなことを言っているんじゃないでしょうか。あとはわかりません。

おまけ
おまけはありません。