歴史は人間が持つてゐると同じ数の欲望と動機を持つものだ。(秩序の構造)

吉本はいろいろなところで何回も言っているんですが、つまりそれは吉本自身がなんどもそこから考えを組み立ててきたということでしょうが、歴史というのは仮に世界に100万人の人間がいたとすると、100万通りの生きてきたあり方がある、その総和が歴史だといえば誰もが納得するだろうということです。100万人の人間すべてを調べて、その生き方を把握すれば、それがだれもが納得する歴史だ、という歴史の土台の考察と、このノートの言葉はつながっているような気がします。
しかし仮に100万人の100万通りの生き方を知ったとして、それだけでは偶然の連続として世界を知ることができるだけで、歴史の必然というもの、歴史が移り変わっていく法則というものはわからないわけでしょう。ではどうしたら歴史の法則というものを、100万通りの生き方の総和があるという歴史の土台から導き出すか。
吉本がいっているのは、ヘーゲルがはじめて世界史という概念をつくったということです。世界史という概念を作るにはどこかに基準となる場所を見出さなければならない。その基準となる場所からの変化と違いというもので、世界を区分していく。ヘーゲルは同時代(19世紀後半)の西欧社会を歴史のいちばん発達した場所として基準において、世界史を区分けしたと吉本は述べています。
そんなところで吉本の「うつ」理解のほうへ移らせていただきます。ようやく吉本の「うつ」の理論の核心にやってきましたが、これがまた難しく充分な解説ができる自信がありません。物足りない方はぜひ「心的現象論本論」の「<うつ>関係の拡張」という原文を読んでいただきたいと思います。では自分なりに解説を試みてみます。
吉本によれば「うつ」というものは自分の自分自身に対する関係のしかたの異常に根源があるということになります。つまり「自己幻想」のあり方に異常があるということです。そのために「対幻想」においても「共同幻想」においても、他者も社会もその自己幻想の異常をもつ「うつ」の人にとっては「影」のようにしか登場しないと言っています。つまり「うつ」の人と結婚しているダンナや奥さんは、そのうつの人にとって「影」のようにしか存在しないということになります。冗談じゃないですよね、結婚までしているのに。うつの奥さんにとってダンナは「影」でしかなく、自然にこころを触れ合うことができない。ただしそれは自閉しているわけではないと吉本は述べています。関係をもとうとしているんだけど、自己幻想の異常のために自然な関係を他者にも社会にももつことができないわけです。
ではその自己幻想の、自己の自己自身に対する関係の異常とは何か。吉本は「うつ」とは、他者や社会との関係において、自己とではなく、「自己の表出」としか関係できない状態にあるということだと言っています。これが吉本の「うつ」理解の核心です。
さてここからの吉本の論理の展開があるわけですが、これを私のようなあんまり論理的でないおっさんがわかる限りのやり方で解説してみます。おっさんにはおっさんのやり方があり、そうでないとさっぱりわかる感じがしないんですよ。おっさんのわかり方というのは、あくまでも身近なイメージに置きなおして分かったつもりになるということです。ではおっさん流でいきますが、「うつ」というのはこころそのものではなく、こころが生み出す概念とか言葉のあり方がコチンコチンになって融通がきかないという感じじゃないかとおっさんは思います。「うつ」の人が概念や理屈を組み合わせてある考えを持ちます。もちろんそれは誰でももつわけですが。その考えがコチンコチンになって、その「うつ」の人自身を縛りつける感じです。ガンコっていうのは少しそういう感じのうちに入るんじゃないでしょうか。こうだと思い込んで、思い込んだ考えがヨロイのようにあるいは絶対命令のように、その人を支配してしまう。(絶対に石畳を一つ置きに歩かなければならない)と考えると、どこまでも一つ置きに歩くことにこだわって必死になるみたいなこだわりもそういうことの内側にある気がします。なんとなくこれでおっさんは少しわかった気になります。ではそのガンコなコダワリ、ヨロイのようなコチンコチンの考えは何故生じるのか。そこまでは吉本は書いていないわけですが、たぶん乳幼児期、あるいは胎児期からの母子関係に根源があるということだと思います。
うつ病者は他者との関係が希薄で、他者をさんざん責めるわりには、その非難や悪罵をケロリと忘れてしまう。うつ病者は、そういう意味では「深み」がないというか、ほんとにこころが苦しんでいるという感じがしない。他者や社会からこころの痛手を負い、こころを苦しませて病に陥った、というにはこころがほんとに苦しんでいる感じがしない。それは「実存的な苦悩」というような苦しみの深みとは違う。そういう印象についてビンスワンガーやクルト・シュナイダーが書いています。そうした臨床的な記述をもとに、吉本が洞察した画期的な見解が「表現的な自己」と「内的意識」、その時間性である「表現的な自己の時間性」と「内的意識の時間性」の区別、という概念です。
でもこれじゃおっさんはわからないから、おっさん流に考えますと、自分のこころというもやもやしたものと、それを言葉としてあらわした言葉による考え方という二つの層を考えます。こころと言葉による考え、あるいは概念による考えの層はたがいに内的に交流します。つまり内省したり、あたらしい表現を生み出したりします。そのことによって、他者とか社会の表現やこころの交流に触れて、他者とか社会をわかっていくという人生航路があるわけです。しかしガンコな融通のきかない、自分の考えに縛りつけられた人にはそれができないわけでしょう。なにを見ても、なにを聞いても、誰と話し合っても、相手の現実に到達するまえに、自分のカチンコチンの考えのなかに戻ってしまう。なんど話しても、どんなに体験しても、いつも同じで同じ出発点にいる。なにも取り込まない、なにも吸収しない、なにも反省しない、いつも同じところから言葉が始まってしまう。他人や社会と触れ合っているのではなく、自分が自分のカチンコチンの概念や考えの思い込みと触れ合っているだけじゃねえか!そんな感じ。このおっさん流のわかり方をもとに吉本の論理を追ってみます。
吉本は「わたしはずっと憂鬱であった」という文章を例にあげています。これを
わたし(A)は(B)ずっと(C)憂鬱(D)で(F)あっ(F)た(G)
というように品詞分解しています。これはもやもやしたこころ(内的時間意識)が表現したものです(表現的な自己)。もやもやとしたこころを、言いあらわそうとして言葉、あるいは概念を選んだ結果生み出されたものです。
ところでこの簡単な表現にも、よく考えると複雑な了解の意識の複合があると吉本はいっています。たとえばまずA→B→C→D→E→F→Gというように発語の順序の意識があることだといっています。さらにBの「は」という表出には「わたしは」という発語と「ずっと憂鬱であった」という発語がどうつながるかということが意識されていなければならないということです。それから発語のA,B,C…には概念の区切り、あるいは非連続の意識がなければならない、というように。それらの複雑な表出された言葉への意識は、この「わたしはずっと憂鬱であった」という発語が、概念化された意識に対応するもので、内的意識の流れそのものではないということがふまえられていなければならないということだと吉本は述べています。
おっさん流に言い直せば、こころから考えが生まれるんだろうけど、考えは常にこころそのものを正確にあらわしたとは言えないだろ。言葉にとらわれずに、言葉がどういうこころからやってきたかを何度も反省しなければ言葉や考えに振り回されるぞ、という感じです。
しかし「うつ」はこの表現された「わたしはずっと憂鬱であった」という「表現的な自己」をもう一度もやもやとしたこころ(内的時間意識)に差し戻して、もっとこころに沿った表出を探し求めることができない。文章を推敲するように、違う表現とか違う言葉に置きなおして、もっとぴったりする言葉を探し求めることができない。表現された「わたしはずっと憂鬱であった」は一字一句変更を許されない教典の言葉のように、その言葉を発したはずの「うつ」の人をしばりつけてしまう。
たぶんそこまでは吉本は書いていないけれど、自分の発語に融通がきかないで縛られるんだから、他者や社会の言葉にも同じように融通がきかない触れ方をするんじゃないでしょうか。つまり「こう言われた」とか「こういう決まりになっている」という他者や社会の言葉との触れ合いがが、一字一句変更のきかない、ほかにも言いようがあるとか、現実に適用すればもっとふくらみがあるという受け取り方はできないで、問答無用な字義通りのカチンコチンな言葉の受け取り方をしてしまうような感じになるのではないでしょうか。
表現的な自己がいわば自分を包む硬いシールドのようになっているヨロイに全身をおおわれた人間をイメージしてみます。その人は素肌で外の世界に触れることができません。触れたい欲求はあり、触れていると思っているけれど、じつは自分のシールドに触れているだけだ。ヨロイの内側でヨロイを感じているだけだ。つまり表現的な自己の外側の世界に触れることができない。なぜなら表現的な自己のできあがりかたが硬直して、自分で変えることができないから。そんなおっさん流のイメージであっているかどうか申し訳ないけどわかりませんが、とにかく自分がわかりそうなやり方でさらに吉本の「うつ」理解の中心へ行ってみたいと思います。それしかできないからね。