歴史はしばしば上部構造の歴史として描かれてきた。法制史は多くの部分を歴史の分野で占めてゐるが、それは原因の分野を占めるものではなく、結果の分野を占めるものだ。(秩序の構造)

ここではヘーゲルよりマルクス歴史観が土台になっているわけでしょう。歴史は世界のすべての人々の行動の総和だ、という土台ではあるが土台すぎてどうにもならないところから出発して、マルクスは観念の歴史としての上部構造と、経済の歴史としての下部構造に社会や歴史を大きく区分します。
ここで吉本がこだわっているのは、下部構造としての経済の歴史ではなく、いわば「動機」としての人間の歴史ということだと思います。もっと言えば歴史資料として残ることのない一般大衆のこころの歴史のようなものです。歴史は歴史資料として残存されたものから組み立てられるけれど、歴史資料として残らないこころはいっぱいある。こころの動機が動機のとおりの結果を生むわけではない。動機は現実とぶつかって、思ってもみなかった結果を生むものだ。だったら結果としての歴史資料とそこから組み立てられた歴史観には抜け落ちる「動機としての歴史」はあるということです。
いまは昭和が遠くなり、昭和はああだったこうだったというようなテレビ番組や雑誌の特集が中高年をあてにして作られていますが、そういうのをみて自分はこういうふうに生きてきたとは感じられないでしょう。それはテレビとか統計とか新聞とかに取り上げられたものから作られた昭和の時代にすぎないからです。そんな歴史からは遠い遠いところで、わたしもあなたもこころを秘して生きてきた。そんな感じでしょ。そうに決まってるよ。

おまけです。
「情況への発言(1970年10月)」   吉本隆明
ホームサイド・デシジョンという言葉がある。わたしがはじめてこの言葉をきいたのは、テレビのボクシング放映のときである。小林弘との世界タイトル戦で、パナマの挑戦者アマヤは、二度これにひっかかって敗れた。アマヤは不服そうに、なかなかリングを去らなかった。このホームサイド・デシジョンにひかかって何回か敗れた経験のある解説者、海老原博幸は、そのとき<世界タイトルに挑戦しようとして、ボクサーは何年も練習に練習をかさねてやってくるのです。それなのに、こういう判定が下されるのは悲しいことだとおもいます>と言ってのけた。この言葉はテレビのボクシング解説者の言葉として、わたしがきいた最上のものである。