すると自由といふものはあの長い長い忍耐のうちにしかない。この忍耐はしばしば生きることに疑惑を感じさせる原因となる。(〈少年と少女へのノート〉)

自由というものは長い長い忍耐のうちにしかない、ということを吉本は後年、自由ではなく「自立」という概念にしたといえると思います。長い長い忍耐をして、気がつけば白髪のおじいさんということになります。それじゃ生きることに疑惑を感じるのも無理はない。特に若いころは。だからそれは生きるということをもっと色んな層に分けて考えざるをえないということになると思います。生きるということにはもっと動物的な部分や植物的な部分も層としてあるというように。しかし吉本がここで対象にしている社会における自由ということについていえば、やっぱし長い長い忍耐で白髪のおじいさんになるまで、という道しかないんだと思う。倒れても倒れても、屍を超えていくというような。またそういう歴史的な視点をもたないと見えてこないものが社会における自由(自立)というものでしょう。ほんとにこのクソッタレな支配から自由になりたいよ。できれば今すぐに。それは無理だけど、永遠に無理とはいえないよな。

おまけです。
「超恋愛論」(2004 大和書房)より             吉本隆明

やっぱり一夫一婦制というのは、人類の理想なんじゃないでしょうか。誰もそれで文句ないでしょう、という男女関係なんだろうと思います。
社会的・政治的・経済的にあらゆる条件が自由であれば、そこで相互に選びあう男女は、本質的なところでお互いを相手として理想的だと思っているわけで、生涯、一緒に行くというふうになるんじゃないでしょうか。
けれども今の社会の段階では、たぶん駄目だと思います。