やがて痛手は何かを創造することだらう。自然と同じように人間は抑圧をエネルギーに化することが出来るものなのだから。〈三月*日〉(夕ぐれと夜との独白)

この考え方も初期ノートのなかに何度か登場するものです。吉本の文体には化学の学徒としての教養と体験が入り込んでいますから、これもエネルギー不変の法則みたいな記述になっていると思います。吉本にはなにが痛手だったのかと考えると、さまざまなことが考えられます。敗戦も痛手であったとか、結婚の経緯も痛手であったとか、組合運動や安保闘争の挫折も痛手であったとか。しかし根源的にあるいは実存的にいえば、吉本自身もよく知ることのできない乳胎児期に受けた傷があるのだと思います。吉本の思想が次第にその自らの根源に近づいていくことが、吉本の切り開いた多様な思想がさらに先に展開されることと同じことだというように、吉本は考えを進めています。それが「母型論」の吉本にとっての意味合いだと思います。

おまけです。
ジグムント・フロイト「続精神分析入門」より(昭和44年 日本教文社刊)

しかし、分析の結果、女の子は陰茎欠如の責任を母親に負わせ、母親がこの損害を与えたことを許さない、ということを知りましたのは意外なことでありました。