剰余価値は、高度資本制の複雑な機構下においては、最早余り意味がないのではあるまいか。むしろ注目すべきものは固定資本量の生態(膨張してゆく)である。(エリアンの感想の断片)

これはちょっとお手上げですね。よくわかりません。剰余価値というのはマルクス経済学の概念で要するに労働者が自分の労働の価値として給料をもらうわけだけど、その給料として払われる価値以上の価値を労働によって作り出す、その余った分の価値だから剰余価値というんでしょ。それが資本家の利潤になっていくわけで、つまり労働者は資本家に搾取されるということですよね。で、それが(高度資本制の複雑な機構下においては余り意味がない)という考えの経路がわかりません。(それより注目すべきは固定資本量の生態だ)というのもよくわかりません。固定資本というのは機械だとか建物だとか車だとかでしょ。こうした考えを吉本がほかで展開した文章を知らないし、これだけの文章では私には理屈がたどれません。剰余価値が余り意味がないなんてどうして言えるのかなあ?
だめだ、わかりゃにゃい (=`ω´=)

おまけです
「ひきこもれ」より            吉本隆明
世の中の職業の大部分は、ひきこもって仕事をするものや、一度はひきこもって技術や知識を身につけないと一人前になれない種類のものです。(略)家にこもって誰とも顔を合わせずに長い時間を過ごす。まわりからは一見無駄に見えるでしょうが、「分断されない、ひとまとまりの時間」をもつことが、どんな職業にもかならず必要なのだと僕は思います。(略)自分の時間をこま切れにされていたら、人は何ものにもなることができません。