余剰の精神といふものがあつて、それはこの世の全価値よりも自分の価値がほんの少し巨きいといふ風にも説明されるが、逆にこの世の価値物らしい価値物がすべて他の精神に占取された後に、自らの精神が取得する悲しみや瞋怒や若干の愁ひをも含んだ精神的余剰物と考へる方がより適切であらう。(方法的制覇)

私たちは自分で考えているようにみえても、テレビや本などで他人が言っていることを基に考えているにすぎないことが多いでしょう。特に直接は知らない事柄で知識や情報によって知るしかない社会的なことや政治的な事柄になると、アリエッティじゃないけど、思考の「借り暮らし
をしていることが多いと思います。自分で調べ考えたんじゃなくて、どこかの偉大な巨匠や、ぜんぜん偉大ではない怪しい評論家なんかの言ったことの真似っこをして済ましている。済ましたくなくても考える手立てがない。そういう状態を「この世の価値物が他の精神に占取された」状態と呼んでいると考えてもいいと思います。すると自分のあたまが他人の思考で占取されたのと同じことになる。よくいえば影響を受けているといえるし、悪くいえば操られていることにもなります。それでも自分自身が自分のなかに、占取された思考、借り暮らしの思考に充たされないで黙りこくってしまう心を感じる時がある。そういう自分が自分の思考に対して黙りこくっているような領域を、余剰の精神と呼んでいると考えてみます。そうするとその余ってしまった、はぐれてしまった、黙りこくってしまったこころのなかは「悲しみや瞋怒や若干の愁ひ」が含まれているといえるでしょう。そこが本当に自分自身で、いくら貧しい考えでも考えはじめる起点、自立の起点なのだと思います。吉本によれば石川啄木はそういう仕事や家庭や生活のなかでいやおうもなく余ってしまうこころを短歌作品であらわしています。
  
考えれば、
ほんとうに欲しと思ふこと有るようで無し。
煙管(キセル)をみがく。

  こみ合える電車の隅に
ちぢこまる
ゆふべゆふべの我のいとしさ    
                               石川啄木





さて、「母型論」のほうへ移らさせていただきます。実はまだご質問をいただいているんですが、申し訳ありませんが個々のご質問に個々にお答えしていくと毎回質問と回答だけで終わってしまいます。それは吉本の考えだと私が思うことを回答するわけなので、どんな質問にも吉本の体系的な思考を土台としてお答えする必要があるからです。しかし私がやりたい「母型論」の解説はまだ始まったばかりといってもよい段階なので、なによりも「母型論」の解説のほうを先行させていただきたいと思います。とはいえいただいたご質問の主旨は理解していますので、個々のご質問には私の解説が回答となるように心がけていきます。
さてと。吉本隆明の「母型論」は乳胎児期のこころを解明しようとしていますが、吉本のモチーフは乳胎児こころの解明にとどまるわけではありません。吉本は「母型論」以外にも乳胎児期の問題を「心的現象論」を始め他の論考でも展開しています。それらも含めて吉本が乳胎児期やそれ以降の精神の発達段階の問題の解明に込めている全体的なモチーフと意味というものを私なりに素描してみようと思います。吉本は胎児期から始まるにんげんの精神の発達段階というものを人類の共同体の歴史と対応づけることが可能だという考え方をしています。なぜ母と子の関係が主軸にある胎児期からの発達が人類史と対応づけられるかというと、以前にも解説として書きましたが無意識の深層で母子関係の仕方とある歴史の段階の社会のあり方を同一視するからだと吉本は考えていると思います。すると発達心理の問題が歴史段階の問題とつながってくるわけです。そのなかで今までよくわからなかった乳胎児期、特に胎児期の問題は人類史の最古の段階、未開原始の段階の解明にあたることになります。その理解のちからになったのはなにより三木成夫の業績を知ったことにあります。それと医療器械の発達によって胎児の挙動が分かるようになったことからくる胎児期心理学の発展なのだと思います。
この胎児期にさかのぼる解明によって歴史段階をさかのぼるというモチーフは、同時にどのように現在の社会を解明するか、そして現在の高度資本主義社会の先にどのような社会を見通せるかという現在と未来の課題に吉本のなかでつながっています。歴史の過去にさかのぼる方法と歴史の未来を展望する方法が同一であるように考えるというのが吉本の考え方だからです。吉本の「アジア的と超西欧的」とか「アフリカ的段階」といった著作はこうした吉本の関心のあり方が凝集されたものといえます。すると吉本の原理的な論考である「共同幻想論」と「心的現象論」という歴史的な共同幻想のあり方という問題と個の心的内容のあり方という問題が、ついに「母型論」を始めとする乳胎児期の解明のなかでつながっていくということになると私は思います。
さらに幼児が言語を獲得するという段階があり、この言語を獲得する前の前言語状態からどのように言語を獲得するかということを微細に解明できれば、それは吉本のもうひとつの原理的な著作である「言語にとって美とはなにか」という文字で書かれた言語についての言語論を、文字以前の言葉の言語論に拡張することにつながるわけです。「共同幻想論」「心的現象論」「言語にとって美とはなにか」といった吉本の主要な原理論が通底して相互に関連づけられていくという意味が胎児期から始まる発達段階の解明には込められていると私は思います。
そうなるってえとですね、結局吉本が生涯をかけて追及してきた多様なテーマと業績が「母型論」の領域の追求のなかに大きな蜘蛛の巣のように絡み合ってくるように思います。吉本が「母型論」を書き上げたのは70歳くらいの頃です。もう老年期だ。ついに乳胎児期の問題に踏み込めるといってもまだまだ前言語状態のにんげんのこの時期は暗黒大陸のようなものでわからないことがとても多い。それでも吉本はその生涯の研鑽が自身のなかでイメージに転化することも込めて、いわば文学として「母型論」を書いたのだと思います。それが「母型論」の「序」のなかで柳田国男の「海上の道」を引き合いに出して、自分も同様なことをやってみたいと述べている理由なんだと思います。柳田国男は日本全国を歩き日本民俗学を築き上げた自負と、もう生涯の終わりが近づいているのにまだまだ学問として未開であることは山ほどあるという自覚とで、いわば独力で地の果てまで辿り着いてもまだ先に広がっている大きな海のような未知にむかってイメージを湧き上がらせながら「海上の道」を書いた。吉本は現在の発達した実証科学からは柳田国男の「海上の道」の「日本人はどこから来たか」論は誤謬をもち訂正を迫られるものになっていると語っています。それでも柳田国男の当時としては最先端にたどり着いた知の頂から虚空に描いてみせたイメージと、イメージを作り出した内的な方法の意義は失われないと述べています。そういうことが分からなければ柳田国男を分かったことにはならないし、その意味では柳田民俗学は実証科学じゃないと語っています。それと同じことは「母型論」にもいえると思います。やがて実証科学が「母型論」の部分的な誤謬を明らかにするときは来るのかもしれませんが、そこに込められた吉本の全生涯の思考の蜘蛛の巣と、はらわたの奥から光を放っているようなイメージの意味は優れた文学が失われないように失われないと考えます。
そういうようなわけで、「母型論」は吉本愛読者としての私にとって興味の尽きない本であるわけです。そこでこの自分なりの素描に次第に線や色を描きこんで、私なりの解説を進めていこうと思いますのでみなさんよろしくおねがいしマンモス。