ときどきこの世で住むのはいやだと痛切に泣きさけぶことがある。(断想Ⅶ)

こころのなかでこの世に住むのはいやだ、死んでしまいたいと痛切になきさけぶというのが本当なら、エロスとしてにんげんをみればエロスの発現が過酷に弾圧されているからだとみなせるように思います。この弾圧は多層にわたっていて、単に社会的な弾圧に還元もできないし、養育史の弾圧に還元もできないし、男女関係の弾圧にも還元できないんだと思います。しかし結局は求めるものは弾圧からの解放なのでしょう。三島由紀夫がかって吉本の本の帯を書いて、吉本の批評にエロティックな興奮があると評したことがありましたが、吉本の表現の体ごとぶつかってくるような迫力を解く鍵もやはりエロスというものの徹底的な解明にあると思います。エロスっていったいなんなんだよ?lちくしょう!


おまけです。
「三木成夫について」(1992) (「心とは何か」に所蔵) 吉本隆明
三木成夫の著書にであったのは、この数年のわたしにひとつの事件でした。過去形でいっても、ほんとは偶然ではなく言叢社の島亨氏がであわせようと仕掛けてくれたのかも知れません。いずれにせよこちらは感度よく驚嘆しました。日本にもこういう研究者(解剖学者)がいるのかとおもったのです。
(中略)
この著者への頌辞になるかどうかわかりませんが、知識に目覚めたはじめの時期に、もっとはやくこの著者の仕事に出あっていたら、いまよりましな仕事ができていただろうに、そんなすべのない後悔をしてみることがあります。ひとりでもおおくの読者が、こんな後悔をしないように、とこの解説を試みました。