2008-04-05から1日間の記事一覧

「理性はいつも一致を願ふけれど、感情は乱れることを願ふものだ」(忘却の価値について)

これは分かりやすいことを言っていると思います。理性というのは、現実や体験を言葉によって概念に置きなおし、概念は他の概念との関係づけによって、さらに抽象された概念を作り出そうとする営みのことだと思います。理性は、論理を駆使することによってす…

「不幸といふのは言はば欠如の感覚であるが、この欠如が、時間的に永遠の感覚に、又、空間的には人間性の共通な課題に結合するのでなければ、僕らはそれを自らの欠如として感ずるに値しないものである。不幸であるといふのは、正しく僕を訪れる感覚であり僕のみに関与するものであっても、僕がそれを一般の不幸として感じないとすれば、何を得ることが出来るだらう」(不幸の形而上学的説)

自分自身の小さな生活の中の哀しみや欠如感。それを普遍的なものに関連付けたいという吉本の精神の特徴は分かりにくいものだと思います。私はそれは吉本が自分の欠如感の底にあるものが、精神を精神にとっての自然というところにまで降ろしてみないと解けな…

「一般に欠如の感覚は、欠如を満たすことによって消解するのではなく、正しく僕の経験によれば、掘り下げることによって消解するのである」(不幸の形而上学的注)

例えば英語ができない。これじゃダメなんじゃないか、という焦りがあるとすると、これを欠如感と呼ぶ事ができます。もうこの年齢で結婚してないとダメなんじゃないか、とか。女房に逃げられたままじゃダメなんじゃないか、とか。 こういう欠如感を感じると、…

「人間は、他の者の不幸を如何にしても消解せしめることはできない。若し、その不幸が普遍的な現実の問題に関わるものでないかぎりは。僕は、慰めの感情によって不幸に対する者を信じない。共鳴によって対する以外にない。それが解決でないとしても」(不幸の形而上学的注)

ここで不幸と呼んでいるものは、前の文章で欠如感と呼んでいるものと同じです。自分が不幸を埋めようとしても、他人が埋めてあげようとしても、いっときできても消してしまう(吉本は無化するという言い方をよくします)ことはできません。その不幸を掘り下…