「不幸といふのは言はば欠如の感覚であるが、この欠如が、時間的に永遠の感覚に、又、空間的には人間性の共通な課題に結合するのでなければ、僕らはそれを自らの欠如として感ずるに値しないものである。不幸であるといふのは、正しく僕を訪れる感覚であり僕のみに関与するものであっても、僕がそれを一般の不幸として感じないとすれば、何を得ることが出来るだらう」(不幸の形而上学的説)

自分自身の小さな生活の中の哀しみや欠如感。それを普遍的なものに関連付けたいという吉本の精神の特徴は分かりにくいものだと思います。私はそれは吉本が自分の欠如感の底にあるものが、精神を精神にとっての自然というところにまで降ろしてみないと解けないような奥深いものだと感じているからだと思います。
しかしこうしたことは伝えにくいものです。ホントウは私なんかの解説ではなく、吉本自身の詩や批評を読めばいいわけです。まだ読んだことがない人のために、この文章の奥にある吉本の心があらわれている吉本の詩のを紹介します。いい詩です。けして私が文章を書くことを手抜きしているわけではないですから、くれぐれも誤解なきよう(⌒・⌒)ゞ

 ちひさな群れへの挨拶       吉本隆明

あたたかい風とあたたかい家とはたいせつだ
冬は背中からぼくをこごえさせるから
冬の真むこうへでてゆくために
ぶくはちひさな微温をたちきる
をはりのない鎖 そのなかのひとつひとつの貌をわすれる
ぼくが街路へほうりだされたために
地球の脳髄は弛緩してしまふ
ぼくの苦しみぬいたことを繁殖させないために
冬は女たちを遠ざける
ぼくは何処までゆかうとも
第四級の風てん病院をでられない
ちひさなやさしい群れよ
昨日までかなしかった
昨日までうれしかったひとびとよ
冬はふたつの極からぼくたちを緊めあげる
そうしてまだ生まれないぼくたちの子供をけっして生まれないようにする
こわれやすい神経をもったぼくの仲間よ
フロストの皮膜のしたで睡れ
そのあひだにぼくは立去ろう
ぼくたちの味方は破れ
戦火が乾いた風にのってやってきそうだから
ちひさなやさしい群れよ
過酷なゆめとやさしいゆめが断ちきれるとき
ぼくは何をしたらう
ぼくの脳髄はおもたく ぼくの肩は疲れているから
記憶といふ記憶はうっちゃらなくてはいけない
みんなのやさしさといっしょに

ぼくはでてゆく
冬の圧力の真むこうへ
ひとりきつきりで耐えられないから
たくさんのひとと手をつなぐといふのは嘘だから
ひとりつきりで抗争できないから
たくさんのひとと手をつなぐといふのは卑怯だから
ぼくはでてゆく
すべての時刻がむかうかはに加担しても
ぼくたちがしはらつたものを
ずっと以前のぶんまでとりかへすために
すでにいらなくなつたものはそれを思ひしらせるために
ちひさなやさしい群れよ
みんなは思い出のひとつひとつだ
ぼくはでてゆく
嫌悪のひとつひとつに出遭うために
ぼくはでてゆく
無数の敵のどまん中へ
ぼくは疲れてゐる
がぼくの瞋りは無尽蔵だ

ぼくの孤独はほとんど極限(リミット)に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど過酷に耐えられる
ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる
もたれあふことをきらつた反抗がたふれる
ぼくがたふれたら同胞はぼくの死体を
湿った忍従の穴へ埋めるにきまつてゐる
ぼくがたふれたら収奪者は勢ひをもりかへす

だから ちひさなやさしい群れよ
みんなのひとつひとつの貌よ
さやうなら