「人間は、他の者の不幸を如何にしても消解せしめることはできない。若し、その不幸が普遍的な現実の問題に関わるものでないかぎりは。僕は、慰めの感情によって不幸に対する者を信じない。共鳴によって対する以外にない。それが解決でないとしても」(不幸の形而上学的注)

ここで不幸と呼んでいるものは、前の文章で欠如感と呼んでいるものと同じです。自分が不幸を埋めようとしても、他人が埋めてあげようとしても、いっときできても消してしまう(吉本は無化するという言い方をよくします)ことはできません。その不幸を掘り下げて普遍的な現実の問題、感性の秩序と対応する現実の問題に関わらせることができないかぎりは。
慰めるということは、感性の秩序に従った善意の対応です。それが善意であろうとも、感性の秩序に無意識であるか意識的に肯定していることによって、不幸におしつぶされている者をおしつぶす側に加担していることになります。「地獄への道は善意で敷き詰められている」という鋭い言葉もあります。そのことに気がつくことが関係性に気がつくということです。
だから慰めを信じない。秩序の少し上の者が下の者を善意で慰めることを信じない。互いが自らの不幸を掘り下げることで共鳴することを信じる。そう言っています。まだそれだけでは徹底的な解決でないとしても、です。

またここで一曲。じゃなくて吉本の詩を掲載します ρ(ーoー)♪

「少年期」       吉本隆明

くろい地下道へはいっつてゆくように
少年の日の挿話へはいつてゆくと
語りかけるのは
見知らぬ駄菓子屋のおかみであり
三銭の屑せんべいに固着した
記憶である
幼友達は盗みをはたらき
橋のたもとでもの思いにふけり
びいどろの石あてに賭けた
明日の約束をわすれた
世界は異常な掟があり 私刑(リンチ)があり
仲間外れにされたものは風に吹きさらされた
かれらはやがて
団結し 首長をえらび 利権を守り
近親をいつくしむ
仲間外れにされたものは
そむき 愛と憎しみをおぼえ
魂の惨劇にたえる
みえない関係が
みえはじめたとき
かれらは深く訣別している

服従こそは少年の日の記憶を解放する
と語りかけるとき
ぼくは掟にしたがつて追放されるのである