再び誘惑のこえを聴かう。(夕ぐれと夜との独白)

これだけでは何の誘惑だかわからないわけですが、前後の文脈から判断するとおそらく死の誘惑なんだと思います。死にたいという誘惑がある人は確かにいます。私にはそういう誘惑がないからわからないんですが、その誘惑に誘われて実際に死んでしまう人もいます。吉本が独特なところは自分を誘う「死」というものを深く対象化して考えたことだと思います。「死」そのものは誰も体験したことがないし、体験した人はあっち側に行っちゃったわけだから、誰も「死」そのものを知らないわけです。しかし「死」の誘惑は確かにある。だったらその「死」とは本当はなんなんだろうか。それは心身がぷつりと断ち切られたという「生」の向こう側ではなく、本当は「生」の手前、つまり出生以前のことではないか、というのが最後の吉本の思想だったと思います。死が怖ろしいということも、死が甘美な誘惑だということも、胎内と出産という事柄と関わっていると考えたと思います。そこから死を扱う宗教、あるいは古代思想と科学とを結びつける思想を作り上げたいと努力している途上で亡くなったといえます。

おまけです。
「超恋愛論」(2004年9月 大和書房)より         吉本隆明

恋愛というのは、まるで細胞同士がひかれ合うような、そんな特別な相手とだけ成立するものです。
この本の中でくわしく書いていきますが、そういう関係は、お互いがある精神的な距離圏に入ったときに初めて生まれるものであり、その中に入ってしまったら、社交的だとかそうでないとか、顔かたちがどうであるとか、そんなことは何の関わりもなくなるのです。
細胞と細胞が呼び合うような、遺伝子と遺伝子が似ているような――そんな感覚だけを頼りにして男と女がむすばれ合うのが恋愛というものです。