人間は開花すべき時代をその生涯のなかに有つてゐる。だから人間は未来のために生きるものではない。(断想Ⅵ)

これはマルクス主義的な人間観に対する反抗だと考えるとわかりやすいです。人間は遠くの未来の理想社会のために人生を生きるというようなものじゃない。思想として長い歴史時間を考察することと、100年も生きない短い個人の人生をどう生きるかということは別の問題とみなさなければならない。現在のように極右的な連中が政権を強奪し、またぞろ国家主義的な政策や教育をおっぱじめようとする時代には、吉本が生涯をかけて考察した共同体と個と家族についての原理的な思想が重要になってくると思います。それが知識としてでなく、自分自身の思想としてどう血肉になっているのかを問われる状況がひたひたと迫っているからです。

おまけです。
「ハイ・エディプス論」(1990 言叢社)より      吉本隆明

ほんとならば眼をつぶらなくてもいいところで眼をつぶってしまった体験が、胎児期・乳児期にある持続期間であったとすれば、自分が現実感だと思っているものが、ほんとは現実感じゃなくて、そのまえに眼をつぶっちゃってるんだ。またほんとは物質とはこうなんだとか、物体がここにあるとはこういうことなんだとか、事態がこうなのはこういうことだとか、それがほんとにあるにもかかわらず、もっと手前のところで眼をつぶっちゃってて、別様に思い込んじゃってる過誤があるんじゃないでしょうか。母親が不安とか恐怖とか、これは思い出したくないといったことがある期間持続的にあって、それを乳胎児期に体験したら――、これが現実感だと思い込んでてもほんとはそうではないんだという誤差が、大なり小なり生ずるんじゃないかな。