僕らは正しいことをやる奴が嫌ひだ。正しいことはしばしば狡猾に巧まれた貪慾である。倫理が他人がそれに従属すべきもので自らは関知せぬと思つてゐるものは、この正義の士のうちにある。(〈少年と少女へのノート〉)

ここでいう正しいこととは倫理的な意味の「正しいこと」を指していると思います。誰も反対できないような大義名分、あるいは正義、そういうものを大上段に振りかざしてものを言う連中が嫌いだといっています。それはなぜかというと、ひらたくいえば言っている連中自身がその倫理的な絶対の正しさを実行しきれるのか、しきれるわけないだろうということです。できもしないことを他人に押し付けやがって。という感じ。
反対するのが難しい絶対的な「正しさ」というものはたいてい誰もが一番大切な生命に関わると思います。命を脅かされている人々のために命をかけてことを行う、この正しさに反対するものはいるか?というソフトな脅迫の感じ。ベトナム戦争で死に瀕している民衆のために、アフリカで餓えた子供たちのために、原発事故の危険にさらされている人々のために、この「正しさ」の側にいる私たちに逆らう奴はみんなで血祭りにあげてしまおう。てな感じ。吉本は戦後何度もそうした絶対正義の旗を掲げて民衆を組織しようとする連中を批判し、組織的な非難を浴びてきました。それは晩年の原発事故への見解にまで一貫された吉本の単独思想者としての姿勢でした。
こうした「正しさ」を振り回して、これを批判するやつは人間じゃないぞという勢いで迫ってくる組織的な動きが、さあ賛成の署名をせよとか、キミも一度デモに来てみないかとか、我が団体でもこの「正しい」運動への参加表明をしようと思いますが反対の団体員はこの場で発言してください、みたいなかたちで身近に迫った時、たいていはその場から逃げてしまうか、あるいは取り込まれていくかしかないと思います。ところで取り込まれた場合には、結局その「正しさ」の主張に生活と観念のすべてを費やしていくということはできないようににんげんはできていると思います。どこかに矛盾が生じて悩み苦しむことになる。それは信者の悩みです。絶対的な正しさとにんげんの存在の相対性が矛盾を生み出すわけですが、信者の盲点としてその「正しさ」の理念と「正しさ」を主張して人をオルグする組織へ疑いを向けることができない。そして「正しさ」の組織はその信者の悩みを内向化させることで、それを栄養分にして肥え太っていくのだと思います。そして必ずかなりの無理をして全生活に近いものを、時には生命を犠牲にして「正しさ」に殉ずるやつが中にいて、それが殉教者の偶像になります。マザー・テレサ的な、日常性を犠牲にして一張羅を来て夜も眠らず飯もろくに食わずに他人の命を救う「正しさ」に自分を捧げた人がいわば理念の広告塔になるわけです。その広告塔がまた信者の劣等感を生み出し、信仰の生み出す矛盾を自分自身の弱さとして受け止め、ああもっと行動しなければ、もっと日常を犠牲にしなければ、もっとお題目を唱えなければという自己批判に向けさせる。その堂々巡りの円環を絶つには、絶対的な正しさとされているその理念自体への批判と、それを掲げる組織への批判という虎の尾を誰かが踏んでみせなければならない。そして人間の相対性とはどのような普遍的な構造をもって存在し、「正しさ」を装う指導者や組織や教祖様自身でもそれを逃れることはできないことと、「永遠不滅の正しさ」として掲げられる理念自体をもっと大きな視野の歴史段階のなかに位置付けて俯瞰すること、その難しい課題に誰かが挑戦しなければならなかった。それを吉本は単独でやってきたと私は思います。それが吉本が主流のマスメディアと政治党派とその信者たちから石を投げられ嘲られ「よってたかって無視され」てきた理由ですよ。
ノートの解説はこんなところで次は私ごときに寄せられたご質問に答えたいと思います。
この質問は長いので要約させていただくと『「怖い」という感情、たとえば「一人が怖い」とか「人が怖い」というような感情は、母親の胎内で培った感情の記憶を再現しているのか。またそうだとすると自分の心が生きられていると思えるようになるには、胎内の記憶の良い方の記憶をうまく再現できればよいのか。またアーレントの哲学によれば、人は複数の他者と関わり世界に参加しないと幸せとは思えないということですが、これは胎内記憶の問題の次の段階の問題と考えればよいのか』というものです。
私は吉本隆明私設図書館の司書みたいな立場ですから私の考える吉本の思想というものからお答えしてみます。どうも納得がいかないとお考えになったらぜひ吉本の本をじかに読んでみることをお勧めします。さてそれでご質問ですが、にんげんの持つ様々な恐怖の感情がすべて胎内での感情の再現であると考えることはできないと思います。乳児期以降成人に至るまでの恐怖の体験からも「怖い」という感情はやってくると思います。また胎内の記憶の良い方の再現と言われますが、胎児期の記憶を意識として再現するということは不可能とはいいませんが今のところ大変難しいことだと思います。たとえば「誕生を記憶する子供たち」という本がありますが、これは成人を深い催眠状態において新生児の体験へ退行させようとするんです。そうすると出生時にこういうことを見たとか、まわりの人がこういうことを語っていたというようなことを被験者の成人が催眠状態で語るわけです。また「子宮の記憶はよみがえる」という本もあります。こうした本を読むと胎内記憶や出生時記憶がよみがえることもありうるんじゃないかと素人的には感じます。しかし現状では普遍的な方法というのはないんじゃないでしょうか。だから誰もが胎内記憶の良い方を再現してそれを糧に生きたいと思っても、その記憶は深い無意識の底にあって取り出すことはできないと思います。
質問された方の真意とはずれるかもしれませんが、私はこの質問を読んで感じたのは、人のなかにいるときや、自分一人になったときに落ち着かない不安な気分になってしまう。そしてその程度はどうも他の人より大きいような感じがする。この「不安
や、もっと追い詰められれば「恐怖
という感情はどこからくるのか。それは母の胎内にいた頃からの問題なのだろうか、それを逃れてもっと社会における生活で安心して自由な気持ちで暮らせる方法はないのだろうかというような悩みです。この問題を、母子関係における心の傷というものと、その人が成人して社会生活をおこなうときに起こる心のトラブルとはどういう関係にあるのかという問題として考えてみます。そこで吉本の著書「心とは何か」のなかに吉本の考えを辿ってみました。吉本は自分のところに長年電話をしてくる精神を病んでいると感じる一群の人たちがいる。その人たちとの会話のなかで感じるのはどうしようもなく精神が「受け身」であるという特徴だと書いています。この「受け身
ということには、善意でありすぎるとか、優しすぎるとか、度外れに依頼心が強いとかという特徴も含んでいるとしています。この「受け身」であるという特徴はどこからくるかというと、吉本の考えではにんげんが男であろうと女であろうと普遍的に「受け身」である唯一の時期は胎児期と乳児期であるから、その特徴は胎乳児期の母子関係に要因があるだろうということです。
吉本ですから、電話をかけてくる病的な人は左翼の政治党派に参加したり社会運動に参加して挫折したという人が多いわけです。また女性との関係において挫折したということもそこにからんでいる場合もあるそうです。そういう人たちが一様に「受け身」であり、胎乳児期の母子関係に傷を負っていると考えられるとすると、その胎乳児期の問題と一見無縁に思える青春期成人期の恋愛や政治運動社会運動の挫折があり、そのことで病像を獲得することとはいったことはどう結びつくのか。
ここで私はとても重要と思うのですが、吉本は胎乳児期に母親との関係の挫折があって「受け身」の特徴を備えてしまったひとが、大人になって社会的な行動のなかで挫折を経験して、そのことで一般的には心の病気までには陥らないとみなされることでも深く落ち込んで病像を獲得したということがあったとすると、そのひとは胎乳児期の挫折と社会的な行動のなかでの挫折を心の深層のところで両方を同じものにしてしまっている、同一視してしまっているからではないかと考えているんです。本来はそのひとにとって別の時期の、関わりのない出来事が無意識の深層で同一視される、同じものだと錯覚されるということだと思います。吉本の考えはここから展開していきます。「受け身」であった胎乳児期というものと人間の社会の歴史とか、共同体の歴史と対応づけることができるのではないか、それはどのように対応付けられるかというようにです。この展開は興味深いのですが、長くなるので「母型論」の解説のなかで取り組んでみたいと思います。
ここではこの「同一視」があるという吉本の考えを紹介させていただくにとどめます。しかしこれは深く考えさせる指摘ではないでしょうか。吉本に電話をしてくる左翼的なひとに限らずもっと一般的に考えることができます。もし私たちが社会生活のなかで他のひとはそつなくこなしていくように見えることでも自分だけは内心おどおどしてしまったり、気にしすぎてしまったり、いつまでも失敗を気にしたり、体がこわばって動作がぎこちなくなったりというようなことがある。もっとひどくなると外に出られなくなったり、過呼吸に陥ったりというようなことがあるとすれば、それは原因を胎乳児期の母子関係にもっていると考えます。しかし母子関係と現在の社会生活のトラブルがどう関係づけられるのかといえば、母親から胎乳児期に受けた圧迫感とか恐怖感とか疎外感とか寂寥感といったものが無意識の領域にあって、それが社会における挫折における感情と同一視されて、いわばちょっと溺れかけた者の足を海の底からにょきにょきと伸びてきた白い手のように鷲掴み、暗黒の海の底へと引きづりこんで本格的に溺れさせていくような「同一視
の関係とみなしていることになります。社会や自分の属する会社だのグループだのの集団はこの「同一視
のなかで巨きな意味の母の像になり、その冷たさや命令や追放やいじめや規律などは目にはみえない「母」からのもののように受け取られてしまう。でもそのことに当人が気づくことはない。
だけど気づいていく人もいると思います。どうもどこかで母親の冷たさに心が傷ついたところが自分にあって、それで社会生活でトラブル続きだった。でも母親との成人になってからの関係のなかでか、社会生活の経験のなかでか、あるいは自分が結婚して作った家族の経験のなかでか、どこかでその同一視のぎちぎちの結び目がほどけていわば別々の問題だという風にいつのまにか考えらえるようになった。母親を許せるようになった、あるいは客観的に見れるようになったし、社会生活は社会生活の領域内で処せばいいのだという智慧がいつのまにか体得できた、そんな人はいっぱいいると思います。むかしやんちゃで暴れてどうしようもなかった奴が、その怒りや悲しみを自分で抱えられるようになっていたみたいな感じ。とはいえそれは程度の問題で、深刻な傷と深刻な同一視はどうしようもなく人を病気に引きづりこんでいくのだと思います。
もっと書くことはありますが、あまり長くなるとゼミのお邪魔ですのでここらでお答えとさせていただきます。あらゆる問題はいつかもっと解明されることがあるというにんげんの力を信じて、きつい毎日でもやっていきましょう。