人間は経験といふものなしに宿命を深化することは出来ない。それ故経験とは屡々(しばしば)似非秀才によつて軽蔑されるあれよりも、遥かに複雑な、重たい意味を持つものだ。(原理の照明)

吉本の考えでは胎乳児期に無意識の核の領域が作られます。乳児期を脱し幼児期になると、無意識が意識の領域にむかって拡がっていき、同時に無意識の中間層がつくられます。そして児童期に至って、胎乳児期に形成されたものが現実世界と衝突させられることにより無意識の表面層がつくられると考えます。無意識には意識世界に接する表面層と、その下に中間層がありさらに核の領域があると図式的に考えることができます。質問者のいう恐怖というものの淵源が無意識世界にあるとしても、それが棲む場所は核の領域のこともありえますが、中間層や表面層にあることもありうることになります。
なぜ経験なしには宿命が深化できないかといえば、宿命を深化つまり意識化するには、意識的世界が精一杯発揮されて現実世界に衝突し、その破れ目が生じる必要があるからです。そんなに頑張らなくても人は宿命、つまり無意識の傾向に引きずられて生きるでしょう。しかしその宿命をつまり無意識を意識に世界から垣間見ようとすれば、どうしても意識世界の裂け目から深淵を覗くしかないということだと思います。頭のなかで考えているだけでは宿命はわからない。やってみてしかも現実から意識世界がひびの入るほど打撃を受けた時にはじめて視える。その最後のチャンスは死の時だと思います。

おまけです。

「遺書」(1998)より          吉本隆明

いいことを照れもせずいう奴は、みんな疑ったほうがいいぞ。