精神の集中の周囲には必ずひとつの真空がある。我々はこの真空を個性と考へる。そこで個性といふのは、よく考へられるように個人が所有する特性ではなくて、個人の所有する場である。(〈虚無について〉)

吉本が「母型論」を書くことで推し進めたい思想の夢は、吉本の言葉でいえば人類の歴史をお猿さんの段階からぶっとおすことです。ぶっとおすというのは一貫した理解を人類史の始まりから現在にまで貫きたいということです。若き日に吉本が直感した個の精神が置かれている「場
があるという認識は、晩年にそこまで深められたともいえます。真にぶっとおすことができなければ、現在から未来を展望することはできないというのが吉本の考えだったと思います。

おまけです
吉本が亡くなってから6年も前に行った茂木健一郎との対談が出版されました。悪口を言わせてもらえば茂木ってのは気持ちの悪い野郎だなあというのが感想です。

茂木健一郎との対談 『「すべてを引き受ける」という思想』から  吉本隆明
壮年期や青春期を基準に「人間」というものを考えると、人間はずいぶん動物から遠ざかっています。動物は反射的に行動するけれど、人間は動物ほど俊敏に動くことはできません。その人間からさらに遠ざかっているのが老人で、ご老人は青春期を中心にした人間よりさらに動物から遠ざかってしまっている。とすれば老人とは、ある意味では「超人間」というべきではないか。