限界なきところにあつて織る夢。(原理の照明)

もう俺だって59歳だから限界ありますよ。俺のような還暦のあたりの人を「アラカン」っていうんだそうだ。「アラフォー」のバリエーションとして。アラカンかあ。嵐勘十郎みたいって、そんな名前が浮かぶあたりがすでに「アラカン」。ま、いいか。吉本の晩年は90歳を「卒寿」というわけだから「アラソツ」だ。アラソツの吉本は限界なき夢を織っていただろうか。いたでしょうね。どんな夢か。
それはこれからだんだん近づいていくわけですよ。先にわかったら教えてね。

おまけ

「なぜ、猫とつきあうか」より(1995)         吉本隆明
子供のときは何となく猫の気心は全部わかっててとかいう感じでした。自分が猫と同じ次元みたいなふうにつきあっていた気がします。だからしょっちゅう鼻たらしていると、猫がなめてくれたりして、よく親から、おまえは猫に鼻をなめてもらって何とかとか、よくからかわれていました。だけどいまは僕としても勝手なそれこそ擬人化した次元でつきあっていて、それでこっちが忙しくなるとほったらかしにしといてというふうにしますからね。ほんとの意味でのつきあいはしてないですよ。僕は、いまとてもだめですよ。だめなつきあい方ですよ。