「人間は、権威に向かって求心的である」(原理の照明)

観念を産む宿命にあるのが人間であるなら、観念の宿命は無限に拡大していこうとすることです。無限に拡大していこうとする観念は、無限に拡大した自己、すなわち観念自体の究極の像をうすらぼんやりと描きます。それが権威というものの背光ではないでしょうか。人間が自分の観念の働き、すなわち自分自身の人間的な本質自体の宿命を対象化、つまり考えることができない限り、人間は自らの本質の産む幻影に振り回されて、自分自身の基底である生活者のあり方を犠牲として捧げる倒錯を繰返す。そんなこともあるかもしんない。まあ難しげなことは置いといて、詩をどうぞ。

「明日になつたら」   吉本隆明

明日になつたら
辛い夢のなかに
蕀がひつかかつていないかどうかを
たしかめよ
きみはすでに
罪人の罪よりもすこし重く
罪人の衣裳よりもすこしみすぼらしく
あまたの時を過ぎたのだから

もしも 夢みた世界が
こないうちに
ちいさな恋のいさかいで倒れたら
きみと少女の骨を
戦士がとおる路に
晒せ
あまたの若い戦士たちは
まことともうそともわからぬうちに
すでに孤独な未来へ
ゆくのだから

もしも 大事のまえに
ちいさな事がまちぶせていたら その
ひとつひとつに花燭をともし
あたりの悪かつたものに
微笑を 耐えられずに死んだものに
花飾りを
ほどこせ
きみはすでに
罪を世界におい
安息を戦士たちの肩から
盗んでいるのだから

明日になつたら
辛い夢のなかに辛い夢をきずき
孤独な戦士よりも孤独な未来へ
きみもゆけ
すでに戦士たちはためらい
きみは待たれているから