「絶望!孤独!いやそれよりも、現在の理由もなく痛む頭脳。何ひとつ感じられない憂うつな精神。そのほうがつらい」(風の章)

誰でもそうですが、物書きの初期というのは身体と観念と環境とが渦巻きのように混沌としていて、うざったいと言えばうざったいですが、その物書きの資質のあらゆる原型が込められているという意味では魅力のあるものです。この初期ノートの部分も吉本の極めて初期の(まだ学生?)頃として、吉本の身体が表現の中に直接に表れてきます。つまり頭痛がするとか、無感動だとか、体の辛さが表現の中に入ってきます。このあと「固有時との対話」という詩集があり、「転位のための十篇」という詩集がありますが、その頃までは表現の中に吉本の身体性が表現に篭っていると思います。その後、観念というのは次第に身体性から離脱して独自の幻想としての領域を掘り下げていきます。まして吉本のような極度に掘り下げる資質のおいてはそうです。そして吉本の観念世界は深化し、一方で吉本は詩が書けなくなります。確かに「転位のための十篇」までの詩は、パンクロックみたいにグッとくるわけです。体に訴えてきます。その頃は政治の季節と言われていて、若者が体を張って政府に異議申し立てをして機動隊とぶつかったりしていた時期でした。だからその頃の吉本ブームは思想的な内容だけではなく、吉本の体を張った身体性が若者の身体性に訴えたという部分もあります。キャロル時代の矢沢永吉みたいなものです。しかしそこが大好きだったファンは、その後の部屋に篭って思想作業に打ち込む吉本は、なんかつまんねーということで離れて言ったと思います。
今回の解説でもうひとつ思ったのは、吉本が巨大な仕事をしたその原理の部分、吉本思想の入り口の部分というものが、吉本自身が手を取り足を取るみたいに分かりやすく説いていないんです。その入り口をくぐれば吉本の思想の豊かさが分かりますが、そこはあんまり親切ではないともいえます。というかそういう親切さは吉本は嫌っているわけです。自分の内的な必然性がある人間は、いずれ入り口を自力でくぐるだろう。またもしそういう人が極めて少数でも、それはいっこうかまわない。そういうスタンスだと思いますし、そういう資質です。どんどん先に行きますし、同じことを繰返すのは不誠実だと思ってます。でも世の中には俺のようなニブイ奴も多い。もう少し、入り口である原理的な発想を詳しく解説したり論議したりされていたらと思います。しかしそういう余裕のないことが、過大な荷を背負って駆け抜けていく人物というものでしょうね。そうも思います。先鋭であり、かつ懇切丁寧であってほしい、といったあれもこれもを求めるのは甘えというものでしょう。
ではここらで詩を。

「佃渡しで」       吉本隆明

佃渡しで娘がいつた<水がきれいね 夏に行つた海岸のように>
そんなことはない みてみな
繋がれた河蒸気のとものところに
芥がたまつて揺れているのがみえるだろう
ずつと昔からそうだつた<これからは娘に聴えぬ胸のなかでいう>
水は黒くて(依田記:この黒という字は原文ではへんは黒、つくりは玄、という
一字です。私のパソコンでは登録されていません。もしできたら原文どおりでお
願いします)あまり流れない 氷雨の空の下で
おおきな下水道のようにくねつているのは老齢期の河のしるしだ
この河の入りくんだ掘割のあいだに
ひとつの街がありそこで住んでいた
蟹はまだ生きていてそれをとりに行つた
そして沼泥に足をふみこんで泳いだ

佃渡しで娘がいつた<あの鳥はなに?><かもめだよ><ちがうあの黒い方の鳥よ>
あれは鳶だろう
むかしもそれはいた
流れてくる鼠の死骸や魚の綿腹(わた)を
ついばむためにかもめの仲間で舞つていた<これからさきは娘に聴こえぬ胸のなかでいう>
水に囲まれた生活というのは
いつでもちよつとした砦のような感じで
夢のなかで掘割はいつもあらわれる
橋という橋は何のためにあつたか?
少年が欄干に手をかけ身をのりだして
悲しみがあれば流すためにあつた<あれが住吉神社
佃祭りをやるところだ
あれが小学校 ちいさいだろう>
これからさきは娘に云えぬ
昔の街はちいさくみえる
掌のひらの感情と頭脳と生命の線のあいだの窪みにはいつて
しまうように
すべての距離がちいさくみえる
すべての思想とおなじように
あの昔遠かつた距離がちぢまつてみえる
わたしが生きてきた道を
娘の手をとり いま氷雨にぬれながら
いつさんに通りすぎる