「方法とはひとつの抽象された実体である」(方法について)

この「方法について」という初期ノートの章は12本の短い文章(断章)で成り立っていて、上の文章もその一つです。この章には、吉本の考える対象というよりも、考えること自体についての特色がよくあらわれていると思います。吉本さんは化学を学んできましたから、その影響もある気がします。化学者が実験をする前に、実験の方法について熟考してから始めるように、吉本は何かについて考える時に考える方法について徹底的に考えます。
具体的に吉本の仕事に即して説明してみます。吉本は文芸批評家ですから小説や詩の批評をします。ところで小説や詩の批評は誰でもできます。この間読んだ小説はこんなふうに面白かったとか、くだらなかったとか誰でもやっているでしょう。それも批評です。しかしそうした思いつくままに感じたことを言ったり書いたりする批評には方法はないわけです。方法はなくても鋭い批評、感性の豊かな批評はもちろん存在します。逆に言えば方法があってもつまんない批評もあるわけです。ですが方法なき批評は普遍性を持つことができません。誰もが納得するしかない考え方の土台を築き発展させることができません。自分にとって、また感性を同じくする者同士の間に留まりそのコップの中をくるくるめぐるしかない批評です。そうした方法のない批評は印象批評と呼ばれます。日本において印象批評しか批評のなかった歴史を、批評に自意識という方法を導入して、近代批評つまり方法的な批評を単独で切り開いたのは小林秀雄です。吉本は小林秀雄の築いた批評の土台をさらに掘り下げて徹底した方法的な批評を確立しました。
小説や詩の文芸批評を方法的に行うために、吉本は小説や詩の素材である言語自体の考察を行いました。これは「言語にとって美とは何か」という仕事です。小説や詩の読み方は百人百様です。しかしそれでは普遍性があらわれない。小説や詩の普遍的な批評が成り立たないということは、思想の普遍性も成り立たないということです。小説や詩も思想の容器ですから。小説や詩を読むということは言語を一字一字たどることです。では言語とは何か。言語の本質が分かり、その本質を一貫して貫きながら言語から小説や詩の作品の解読を行うならば、普遍性をもった解読、つまり方法的な批評は成立するかもしれない。それには言語自体の本質を解き明かさなければならないし、その解き明かしに普遍性がなければならない。そこで吉本は具体的な小説や詩の解読の現場から遥か後方に下がり、言語の本質についての論理がとても貧しい日本の知的な環境の中で、日本語についての本質論に打ち込んでいきました。
それでどういう言語の本質論が打ち立てられ、その本質論を貫く具体的な表現や表現史がどう展開されたかは「言語美」を読んでいただきたいと思います。簡単に言うと言語を指示表出と自己表出という二つの要素に分けて考えるということが、吉本が言語論の追及から見出した方法です。
前置きが長くなりましたが、「方法とはひとつの抽象された実体である」という分かりにくい文章を考えてみます。実体という言葉を現実の物と考えると、普通は現実の物の世界を観念に置き換え、観念を抽象してさらに上位の抽象的な観念に到達すると考えます。そういう考えからいくと抽象された実体ってなんじゃいなと思います。
ここでは実体という言葉を物とか物質的な現実という意味で使ってはいないのでしょう。方法というのは観念ですから実体とは反対のものですが、あたかも実体のように確かであり、繰り返しの使用に耐え、明瞭な輪郭をもって道具のようにあらゆる素材に適用できるもの、料理人にとっての包丁のようなものという意味で抽象された実体という言葉を使ってるのかなと思います。いわばこれは比喩的な意味での実体という言葉でしょう。たぶん。
この断章の後で、習慣というものについての吉本の深い鋭い考え方の萌芽が書きしるされます。それはゼミの後半に繋がるのでそちらで書きます。
方法というものへのこだわり、また愛好といってもいい吉本の特色は、つまりは普遍性へのこだわりなのだと思います。それはやはり化学の世界にいたということでもあるんじゃないでしょうか。化学においては普遍性というものが成り立たせるということは前提なのだと思います。そのための方法は実験です。そして実験は世界中の誰がやっても同じ結果が出るということになれば普遍性を確立したことになるのでしょう。その普遍性の追求を、普遍性から最も遠い心の秘めた奥底をつづった文学の世界で、その奥底の想いを壊さないように歪めないようにしながら、いかに普遍性の広場にもってくるか、というのが吉本の一貫したモチーフだと思います。なんでそんな誰も手がけようとしない苦労をするのかと言えば、観念の巨大な体系として人々を包み、支配し、過去から未来にかけて世界を占有している国家や文化に対して戦いたいからです。「私はライバルのように世界を憎しむ」からです。かわいい女の子には(なんか暗ら〜い、キモイ)と思われて行き違っても(>_<)ですね。なんで戦いたいのかといえば、それは国家が行う戦争が、吉本や吉本の愛する人たちの人生をひん曲げ、押しつぶし、殺戮し、そういうことが起こりうる世界が過去と未来を占有して今も聳え立っているからです。