● 「一つの生涯が一つの可能性しか歩めないといふ人間的原則のうちにかくされてゐるものは何か。僕らはここで古代人にかへってみるべきだ」(夕ぐれと夜との言葉)

これは小林秀雄が批評の出発にあたって掲げた「宿命」ということで、以前に書いたことがあります。人はサラリーマンにもなれたろうし、政治家にもなれたろうし、商人にもなれたろう。しかし彼は彼自身にしかなれなかった。血管の中をめぐる真実はひとつだけだ。そういう言いかたで人生をある生き方に決定づけていくものを「宿命」と呼んでいます。古代にかえるというのは、古代思想である宗教の思想にまでさかのぼるということです。そして吉本は宿命について深く考えた親鸞の思想に出遭います。
私はいま寂しいですが、そーいやぁものごころついた頃から寂しかった気がすんなあ。宿命?
では吉本隆明の詩をどうぞ。

   「少女」           吉本隆明

えんじゅの並木路で 背をおさえつける
秋の陽なかで
少女はいつわたしとゆき遭うか
わたしには彼女たちがみえるのに 彼女たちには
きつとわたしがみえない
すべての明るいものは盲目とおなじに
世界をみることができない
なにか昏いものが傍をとおり過ぎるとき
彼女たちは過去の憎悪の記憶かとおもい
裏ぎられた生活かともおもう
けれど それは
わたしだ
生れおちた優しさでなら出遭えるかもしれぬと
いくらかはためらい
もつとはげしくうち消して
とおり過ぎるわたしだ

小さな秤でははかれない
彼女たちのこころと すべてたたかいを
過ぎゆくものの肉体と 抱く手を 零細を
たべて苛酷にならない夢を
彼女たちは世界がみんな希望だとおもつているものを
絶望だということができない

わたしと彼女たちは
ひき剥がされる なぜなら世界は
少量の幸せを彼女たちにあたえ まるで
求愛の賜物のように それがすべてだそれが
みんなだとうそうくから そして
わたしはライバルのように
世界を憎しむというから