「併(けれど)も、不幸の解決は正しく僕のみにとっての解決であり、僕のみの喜びである。そしてこれは、他の喜びに転化するを得ないものだ。ここに不幸といふものの特質があると思はれる」(不幸の形而上学的註)

最初から吉本隆明の詩を読んでいただきます。

「異数の世界へおりてゆく」   吉本隆明

異数の世界へおりてゆく かれは名残り
をしげである
のこされた世界の少女と
ささいな生活の秘密をわかちあはなかつたこと
なほ欲望のひとかけらが
ゆたかなパンの香りや 他人の
へりくだつた敬礼
にかはるときの快感をしらなかつたことに

けれど
その世界と世界との袂れは
簡単だつた くらい魂が焼けただれた
首都の瓦礫のうへで支配者にむかつて
いやいやをし
ぼろぼろな戦災少年が
すばやくかれの財布をかすめとつて逃げた
そのときかれの世界もかすめとられたのである

無関係にうちたてられたビルデイングと
ビルデイングのあひだ
をあみめのやうにわたる風も たのしげな
群衆 そのなかのあかるい少女
も かれの
こころを掻き鳴らすことはできない
生きた肉体 ふりそそぐやうな愛撫
もかれの魂を決定することができない

生きる理由をなくしたとき
生き 死にちかく
死ぬ理由をもとめてえられない
かれのこころは
いちはやく異数の世界へおりていつたが
かれの肉体は 十年
派手な群衆のなかを歩いたのである

秘事にかこまれて胸を
ながれるのはなしとげられないかもしれないゆめ
飢えてうらうちのない情事
消されてゆく愛
かれは紙のうへに書かれるものを耻ぢてのち
未来へ出で立つ


これは完成度の高い、代表作と言ってもいい吉本の詩ですが、いい映画の後の解説が余計なように私がこれ以上書くのは余計なことです。しかしそれで済ますのもなんですので、書いてみます (- .-)ヾ
この初期ノートの文章は前回の前半の文章の続きです。この「不幸の形而上学的註」という気負った題名の断章で吉本が言っていることは、不幸はまず個人に訪れるということです。だから不幸の解決の喜びも個人のもので、他人の喜びに結びつけることはできない。それが不幸の特質だということです。ここで不幸というものの内容は個人個人で違っていいわけですが、吉本が自分の不幸と言っているものは、この詩が表現しているような敗戦による屈辱の思いでしょう。
吉本は個人と書かずに個と書くのでそれにならえば、何故不幸は必ず個を訪れるのか。
それは人間の精神が個であり、他と分かち合うことのできない領域を持っているからです。この当たり前と言えば当たり前のことを吉本は深く考察しようとしています。
国家や会社や地域といった共同性の中で生き、また恋人や夫婦や家族といった別種の共同性の中で生き、その中に溶け込み仲間になり、愛し合いいたわり合って平凡に生きていたいのに、なぜ個というものが重い碇のように関係に裂け目を作り、人を孤独な異数の世界に惹きこむのか。
その個の精神の領域は目に見えない。誰にも見えないし、誰にも聞こえない、誰も知らない、触れることもできない。だから人は個であるかぎりバラバラで、孤独で、ぽつんぽつんとそれぞれの不幸の中に存在しています。しかし、個の世界は考えることのできる世界ですから、その孤独の中で誰にも転化できない不幸を掘り下げ考えることはできます。掘り下げて、個のそれぞれの不幸の底に、バラバラの不幸の根源であるものを発見する事ができれば、バラバラで孤独で考えるそのことがそのままで、深いところで人々を結びつける新たな共同性の出発になりうるといえます。
逆に言えば、その新たな共同性まで降りていかなくてはならないのは、現在の共同性に同化できないからでしょう。そして個の領域が現在の既存の共同性の世界を激しく否定したら、共同性の世界を共同性たらしめているものも目に見えない法やルールや黙契ですから、目に見えない観念の世界同士のたたかいになるわけです。デモをするとか、牢屋に入れられるとかは目に見えるでしょうが、そのたたかいの行われている本当の戦場は目に見えない観念の中です。すべてを賭けてこの目に見えないたたかいの中に入る、入らざるをえないというのが吉本の個の底からの言葉です。目に見える世界では、肉体としては群衆の中をぱっとしないオッサンとして歩き、波風の立たないありふれた生活を営んでいても、目に見えない世界で惨劇があり、面のひんまがるほどのたたかいがあり、疲れ果ててぶっ倒れていくこともある。それは人が個であるからです。
こうしたいわば政治に関わる問題が、当時の吉本の主たる関心であり、不幸の把握のしかたでした。しかし、人間が個であること、個の領域を必然的に生み出したことの根源はさらに深いところに想定できます。国家とか、支配被支配というものが登場する遥か以前から人間は存在しているからです。ではその初源まで遡った時に、個とは何か。何が個を生み出したのか。個を生み出したものがやはり目に見えない精神なら、精神とは、心とは何か。なぜ人間だけが、他の動物と明らかに違った心や思考を持っているのか。それが分からない段階で専門家が張りつける異常とか正常とか、健常とか病とかは何か。そうした根源的な問題が火山の火口の中の溶岩のように存在します。そうした問題に吉本が異数の世界で力をふりしぼってたたかった跡が「心的現象論」などの著作です。吉本は目に見えない人々の心への誰も聞こえない約束を果たし、今も果たし続けていると言えるでしょう。このへんからこの先が吉本の思想の入り口です。