「それ故、不幸は嘆かるべきでなく、掘り下げるに値するのみである」(不幸の形而上学的註)

これは前の文章で書いてしまったこととだぶります ( ̄~ ̄;)
個の世界とは何でしょう。私にもよく分からない。人間は母親の胎内から生まれ、母親に包摂され、交流することが生の始まりにあります。これは誰もがそうですよね。
人は一人で生まれ、一人で死ぬというようなことをよく言う人がいますが、本当は人は母親との一体感の中で生まれ、母親との言葉以前の心と心の交流の中で生まれていくのだと思います。そして死ぬ時も、心はその中に戻るのかもしれません。
この根源的な対なる関係、そこから生まれる対なる(一人対一人の)心の世界に対して、人間は乳児、幼児、少年と成長するに従って、周囲の世界を知り、体験を通して周囲の世界の一員として生きることを始めます。これは共同性の(地域、学校、社会)世界です。この成長の中で目に見えない個の世界も育っていきます。
なぜ育つんでしょう。何が個の世界の意味なんでしょう。芸術、思想を生み出すのはこの誰もが人間である限り抱く個の世界です。今までの人生で私は意味もわからないまま個の世界に執着し、逆に言うと共同性の世界に反感を持って生きてきました。また最近では、プライベートな事情で対なる共同性の世界からも追放されています ヽ(ー_ー )ノ
そこで私にはいやおうなしに時間が生まれ、個の世界が若い頃のように老いぼれた体の中にまた膨らんできています。だから考えます。この個の世界とは本質的には何なんだろう。個を訪れる異常とか病というものは根源から規定するなら何かと。それは私の異数の世界です。