直覚的なものを現実化するのは行為である。(形而上学ニツイテノNOTE)

これは初期ノートのこの部分だけ取り出してもわかりません。全部とりだしてもわかんないんだからなおさらです。そこでこの断章のちょっと前を書いてみます。
「すべての現象を基本的な原理に還元すること。
原理的なものはすべて抽象的である。
思考は抽象的なものから現実的なものへ向ふ操作である。
現実的なものから抽象的なものへ向ふのは直覚である。
直覚的なものを現実化するのは行為である。
それ故行為は予定を含まない。
予定はあらゆる形而上学的な規定には含まれない。」
(初期ノート 「形而上学ニツイテノNOTE」の冒頭部分)
まあこういう感じなんですよ。このあとにもえんえんと考察が続きます。わかんないでしょ、こんなの。これはおそらくヘーゲルとかカントとかの哲学が背景にあって考えられていることだと思います。わかったふりをしてもしょうがないんで、これはお手上げですね。よくわかる人は代わりに解説してください。わかるかぎりでいえば、間違っているかもしれませんが、ここでいう現実的なものというのは感性でとらえられているもの、という感じじゃないかと思います。感覚的にとらえるしかない現実の多種多様なものを、あるまとまりにしていくのは、つまり抽象化するのは直覚だというのは、感覚のまとまりをこれは共通するなにかだ、という直覚がなければ成り立たないという意味じゃないかなあ・・・
現実的なものから抽象的なものへむかうのが思考だと考えがちですよね。しかしそうじゃなくて、それは直覚、あるいは直観だと言っているわけです。そして直覚によって共通性をもった観念、つまり抽象的な観念から個々の現実的なものの違いを把握することが思考だといっているんだと思います。まあそこまではわかったふりをするとして、直覚的なものを現実化するのは行為である、というのがお手上げですよ。なんじゃらほい。
おそらくここで行為といっているのは、政治的行為とか決断して思い切った行為をするというような意味の特殊な行為じゃなくて、もっと初源的な体を動かしてなにかをするという意味の行為なんじゃないかと思います。直覚から生じた観念としての抽象的なものがあって、それを観念として現実に結びつけようとするのが思考という観念の行為だとすると、手足を動かして行う身体の行為は抽象的な観念を現実化するもの、つまり実際に現実を変容させるものだというような意味じゃないかなあ・・・
ふつうは行為は予定を含みますよね。傘をもつ行為は雨にそなえるというように。しかし行為は予定を含まないというときの行為は、身体を動かすということだけに行為という概念を限定しているから出て来るんじゃないでしょうか。
なんでこんなめんどくさい考え方をするのか、ということが疑問ですが、とにかく吉本はここでふつう思考とか行為とかいわれているおおざっぱな概念をぎりぎりに削り取った芯のところでとらえなおそうとしていると思います。それでなにがしたいのかといえば、身体と心的なものと観念との関係を原理的に取り出したいのだと思います。ほんとに解説になっていない解説で申し訳ありませんが、ここはこんなところで勘弁していただいて、吉本の「うつ」理解の解説に移らせていただきます。
前回の解説では吉本の「うつ」というものを対幻想と共同幻想と自己幻想という軸を導入して考察するという方法のうち、対幻想として考えられた「うつ」の部分を解説しました。今回は共同幻想から考察された「うつ」の部分を解説します。これは「心的現象論本論」の「<うつ>関係の拡張(2)」という章の解説にあたります。前回でもいいましたが、原文を直接読むのがいちばんいいです(^-^ )
ひとが他の個人のひとと関わり合う世界、広い意味での性の世界、吉本の用語では対幻想の領域での「うつ」の発現のしかたはどういうものかを前回解説したわけですが、では一人対一人ではなく、社会状況というか社会に向き合う状態で「うつ」はどう発現するか。
吉本はまず大原健士郎という精神医学者の「躁うつ病の社会的背景」という論文をとりあげています。この論文で大原は文化圏の違いによるうつ病の発現のしかたの違いを述べています。吉本の大原への批判は、たとえばアフリカでのうつ病の発現はこうこうで、と述べているけれども、それでは環界と個体の心因あるいは内因とのあいだに決定的な媒介項が欠けている、ということです。アフリカの社会がこうだから、アフリカに暮らす個人の心はこう「うつ」になっているのであろう、というのが大原の考察ですが、それでは媒介がないじゃないかということです。吉本のいう媒介項とは幻想論のことです。社会状況あるいは環界というものを幻想として取り出す方法がなければ、個体の心因と環界とを直接に結びつけることはできない、環界が心的なものであるあり方を見出すことが不可欠で、それが共同幻想だということになります。
共同幻想という軸をとりだせば、こんどは共同幻想の歴史的な変遷ということが問題意識となります。また共同幻想の入口と出口といいますか、共同幻想の始まりとその未来における終焉ということまでが思想的な問題意識となりえます。
そのうえで、吉本は大原の考察を下敷きに自分の考察を描いています。大原は未開的な社会、ここではアフリカですが、そこではうつ病の発現頻度が低いし、典型的なパターンをもたないと述べています。この考察を共同幻想という媒介項をはさんで考えれば、未開の社会、吉本の用語では「アフリカ的段階」の社会では、「個体の心的な世界が、完全に近い形で共同幻想の次元に同致し、その海にひたされて存在しているので、そこでは対峙する心域が融和する心域の問題としてしか存在しないからである」と述べています。
個体の心域、個人のこころは、単に環界のなかにあるのではなく共同幻想に対峙しているということです。だから環界の構造だけではなく、共同幻想の構造が問題になります。共同幻想は「個体の心身と異なった次元にあらわれて個体に対峙する」と吉本は述べています。個体の心身が作られていくことの外側から共同幻想は立ち現われて、個体の心身に対峙する、圧倒的な圧力で個体の心身をおおいつくそうとするものです。そのうえで、共同幻想の歴史的変遷の問題意識に即していえば、アフリカ的段階の共同幻想は個体の心的な世界とまみれるということになります。まみれるとか融和するとか同致するという形で、アフリカ的段階の人は共同幻想と本来の形で対峙するのではなく未だまみれている段階にあるということになります。つまり個人として「うつ」になることがなぜ少ないかというと、未開社会の共同の規範(共同幻想)に個人の心がまみれて、ひたされているために、異常なこと、病的なことはすべて共同幻想のほうに移されてしまうということになります。吉本のあげている例では、未開社会である個人が悪霊が身体に入り込んだという共同幻想にしたがって、病者を薪をたいていぶり出し苦しめたり死に至らしめたりすることがありうる。しかしその行動はその個人が異常だからでも病的だからでもなく、彼の属する共同社会の共同幻想の構造に根源がある、と吉本は述べています。つまり未開社会、アフリカ的段階の社会では個人としての異常、病的ということは成り立ちにくい。個のうつ病ということは成り立たないで、現在からみての異常さ、病的ということは共同社会の共同幻想そのものの異常さ、病的ということに移されているということになります。
しかし問題は、こうしたアフリカ的段階や次の段階のアジア的段階の異常性とか病的という問題が、過ぎ去った歴史段階や世界の後進的な地域の問題だから日本のような先進地域には関係ないんだといえるかということです。人間のこころというのは、そうはできていないという吉本の考察があるわけですが、それは置いといて先に進みます。
次に「アジア的段階」における共同幻想と個人の心身の問題を吉本はとりあげます。大原は、日本や中国やベトナムにおいてうつ病は罪責感や自己処罰の意識よりも、不安の意識によって象徴されると論じています。吉本はこの考察を共同幻想の歴史的な変遷という媒介項を入れて、批判的に捉えなおしています。「アジア的段階」の社会では、それ以降の段階(古代以降)のように、共同体の個々のメンバーのあいだに<債権>と<債務>、<借り方><貸し方>という心的な負荷を負わせられることが少なくて、いわば平等な<被抑圧>者どうしという関係が成り立ち、また<抑圧>と<被抑圧>との関係でも、擬似的に仁愛の相互依存性が成り立っていると感じられやすい、と述べています。これは日本の太平洋戦争期までの天皇と国民の関係を考えれば、理解しやすいと思います。天皇が親で、臣民は子供であるという。昔土建屋やヤクザが社長や親分を「オヤジ」と呼んだのと同様です。支配者を親と感じ、被支配者である自分たちを庇護される子供たちと感じる社会意識です。そして親と子のあいだには仁愛の関係があるとみなすことです。天皇様はわれわれを愛してくださっているという感覚です。
ここで吉本は見事な考察を述べています。アジア的段階の社会では、もともと次元が異なったところで対峙されるべき共同幻想は個体の心域が、その構造を忠実になぞり、またその構造を変更しないような構造を獲取していくような傾向をもつようになる、と。そして共同幻想における常道性の強い模倣の下に置かれる、と述べています。アフリカ的段階では共同幻想はまみれ、ひたされ、同致されるものだったのですが、アジア的段階では自己意識が共同幻想の構造を忠実になぞるというわけです。天皇制のイデオロギーは臣民自身が忠実になぞり、臣民自身が天皇制を模倣することになっていきます。しかし被抑圧者は被抑圧者であり、抑圧の大きさはその意識の外にあるため「うつ」の要因も大きいということです。しかしその「うつ」は罪責感や自己処罰の意識よりも不安の意識によっておおく現れるとすれば、それはまだ共同幻想と自己の心身との関係を意識のそとに取り出すことができない段階だということだと私は思います。
この問題も現在でも残存する「アジア的段階」の心性の問題として、現在ただ今の問題と考えるべきだと思います。どのようにそれが発現されるかということは現在の社会の分析として興味深い吉本の思想ですが、とにかくまとまりをつけるために先に進みます。
次に吉本は大原のキリスト教圏の「うつ」の発現の考察を取り上げます。「アフリカ的」「アジア的」ときたから、ここでは「古代的」とか「近代的」とかになるのかというと、そうでもありません。吉本はキリスト教圏の問題は未開社会であるか文明社会であるかをすぐには意味しないものであって、キリスト教自体の構造の問題と考えています。
吉本によれば、キリスト教はもともと「重荷を負うもの」とか「原罪」という教義理念をもっている。この「原罪」というような罪責感は、社会的な問題でも、心身の領域でも、種族的な民族的な問題にもあてはまるものだった。社会的な不安、種族的な不安、個人的な不安に置かれた状態に対して、キリスト教は鋭く自覚を迫るものとしてあった。そして不安の自覚をとことん問い詰められると、それは「罪の自覚」に達した。そしてもともと社会的なことや自分ことや自分の種族や民族のことで不安を抱いているものは、キリスト教に入りやすかった。またキリスト教に入ることで、罪の自覚が生まれることもあった。ここからが重要ですが、罪の自覚が生まれると、罪の自覚の対象となるもの、つまり神さまを自己意識の上位に置くものとして決定づけられると吉本は述べていることです。
キリスト教的」であるということが共同幻想の歴史的な変遷のなかで、どう位置づけられるのかという問題をここでは吉本は明確に述べていません。たとえ未開社会でも、キリスト教が入り込めば「罪の意識」の対象である「神」を自己意識の上位に置くとか、そのことによって社会の共同幻想を自己意識と分離させた構造の支配に置くかということは変わりないと述べています。
だからキリスト教的ということがどう共同幻想の歴史に位置付けるかという問題は、ちょいと棚上げさせてもらいます。
もう少しこの「うつ関係の拡張(2)」の章で解説したいことがありますが、それは次回にさせていただきます。「うつ」とは何か。それは3つの軸を分けて考えなくてはならない。そして社会との関係で「うつ」になるとすれば、それは共同幻想とその歴史的な変遷というものを考察しなければならない。そしてできうるならば共同幻想というもの自体を袋に入れること、つまりその入口と出口を思想としてとられることができること、共同幻想というものを意識から思想として引きはがすことができるなら、それは「うつ」の社会的な場面での発現を消滅させる糸口になることかもしれない。だとすればこうしためんどくさいことを考える意味もあるということだと思いますが、あなたどう思いますか?