実践によつて現実変革の原理が発見される。併してそれは現実変革の実践へ移行する。(断想Ⅵ)

これは実践という意味が政治的実践ということならば、マルクス主義として昔よく言われていた理論と実践の弁証法的統一というような意味になると思います。マルクス主義の現実変革の理論はマルクス主義の党派が指導する政治的な実践を通して現実の変革を成就する。だからマルクス主義の党派に入るかシンパになりなさいという理屈です。この理屈がうさんくさく思えるのは、現実の変革というスケールの大きな出来事が、ちっぽけな前衛きどりの政治党派に入るか入らないかという矮小な問題に結び付けられているからです。政治的実践という意味が大衆的な規模で政治党派の指導などを乗り越えてほんとうに湧き起こるという時代がくるならば、実践と変革との意味は大きなものになると思いますが、政治党派のオルグの手段として使われる程度では馬鹿らしくて問題にならないと思います。そしてもっと重要なのは、現実が変わるということは政治的な実践つまり暴動とか革命とか全国的なストライキとかで政権が代わるということにとどまるものではないわけです。吉本が昔書いていた文章でまだ覚えていますが、レーニンロシア革命を達成して権力を奪取した時に、権力の頂点からロシア社会を展望して呆然としただろうと書いていました。なぜ呆然とするかというと、ロシア社会は生活としても文明としても古代から積み重なった重厚な実体としてうごめいています。その重量感、その分厚さに対して、自分たちの革命理論、あるいは革命的文化理論といったものが歯がたたないということをレーニンなら感じたはずだということだと思います。それは現実というものが本当に権力をもって働きかけうる対象となった時に、理論と実践との弁証法的統一というような党派とシンパだけに通用するタコ壺の概念では歯がたたないということと同じです。
でもいくら若いころの吉本といってもそんな党派かぶれのつまらないことは言わないと思います。だからここで言われている実践とは政治的な実践という意味ではなく、ここでいう現実変革というのは政治的な変革という意味に限定されたものではないんじゃないかと思うんですが、どうもなんかすっきりしない。あいまいなこと書いてるなという感じです。
母型論のほうに話を変えますが、乳児期の母子関係の問題を共同体の原古の問題に対応させるという解説を長々と書いてきたわけですが、ここでもう一度「母型論」のテーマの全体を見渡してみます。私は「母型論」的な吉本の追求というのは、吉本がそれまで個別に追求してきたテーマを根底のところで結びつけるものではないかという観点をもっています。個別に追求してきた言語論とか心的現象論とか共同幻想論とかを根底のところで結びつける領域ではないかということです。その十分な展開の途上で吉本は亡くなったわけですが、きっと老いて自室を這いずって動いていたという晩年の吉本の脳裏には人類の歴史をぶっとおすイメージが形成されていたんじゃないかという気がします。それは老人とは何かという私の個人的なデイサービスの仕事にも関わることで、老人というものの見方が甘いんじゃないかと私自身に迫る力をもっています。
さてそれで、「母型論」ですが、今までだらだら解説してきたことは「母型論」のなかばくらいまでの内容です。要するに赤ん坊が言語を獲得する、それ以前の問題、乳胎児期、あるいは胎児期以前の問題という領域で取り扱ってきたわけです。なんで長々とだらだらとその領域を解説してきたかというと、それが面白いからです。そこににんげんの個と、人類の原古とをつなぐ何かを見つけようという吉本の苦闘が、ぞくぞくするような興奮を与えるからです。まだまだいくらでも掘り下げ、あるいは横穴をつなげて論じたい事柄はたくさんあります。その言語以前の領域こそは、精神病といわれるものの、あるいは宗教の、あるいは共同体の原古の幻想の、つまり資源の星雲だからです。だけどそこばっかりやっていては、「母型論」の解説が片手落ちになってしまうので、幼児の言語獲得にまつわる問題というところに進んでいきたいと思います。
しかし言語獲得の問題に入る前に、今までの関連で吉本の「アフリカ的段階」の問題に少しだけおつきあい願います。「アフリカ的段階」という概念はおそらく歴史学の学会では無視に近い扱いをされているかもしれませんが、吉本の晩年の思想の核心をなすものだと思います。
吉本が中沢新一中央公論で対談をしています。2007年で吉本が83歳の頃です。87歳で亡くなっていますから晩年といっていい頃です。「アフリカ的段階」が私家版(非売品)で刊行されたのが74歳の時だそうですが、その「アフリカ的段階」について二人が話し合っていて、中沢新一が面白いことを言っています。それを今回は紹介したかった。
中沢新一は吉本の「アフリカ的段階」という概念の意義を十分に認めています。中沢新一のとらえた「アフリカ的段階」の意義とは次のようなものです。中沢は吉本が「アフリカ的段階」として設定した意味を考古学の知識を取り入れてさらに拡張しようとしています。中沢のいうことによると、いまの人類は10万年ぐらい前にアフリカのタンガニーカ湖の近くで進化を遂げて、それまでの人類と違う人類になっていた。それが今の私たち人類のの先祖だというわけです。その10万年前のアフリカで始まった人類の先祖にはすでに「アフリカ的段階」の原型的な思考法ができている。同時に宗教も芸術ももうできている。その人類が世界中に広がっていき、アジアにもヨーロッパにも渡っていった、そして人類が地球上に広がっていったと述べています。
しかしそれから9万年ぐらいはほとんど変化がなかった。いわゆる旧石器的な「アフリカ的段階」が長く続いた。では、その時代に人類は何も考えていなかったかといえば、そんなことはなくて、人間の思考能力はいまとまったく同じだというのです。言語も構造的に同じものを使っていますし、芸術も宗教も基本的には同じだというのです。どうです?面白いでしょ。
10万年前に始まった人類の歴史は9万年くらい前までは大きな変化はなかった。しかし1万2〜3千年前に変化が起こる。都市が造られて、国家が誕生してくる時代が始まる。最初は中近東にそうしたものができて、だんだんその影響力が広まっていき、人類の文化が大きくつくり替えられていくというのです。そしてそのときに、今日私たちが知っているイデオロギーとしての宗教が形作られていくというのです。要するに人類史10万年、そして急速に進化しだしたのが約1万年前だと。そしてその急速な進化以前の9万年間の人間の体験、思考の膨大な蓄積量を何というかといえば、これを「アフリカ的」と名付けていいのではないかと中沢は吉本に向かっていうわけです。
それに対して吉本はあなたがお前の考えはこうだろうと言われたことを手放しで「そうだ、そうだ」とは言わない(笑)ただ、だいたい僕の見当どおりじゃないかと思っていますと答えます。
私が気に入ったのは中沢のこの10万年の話が分かりやすいね、ということです(⌒・⌒)ゞ吉本と中沢の間にどういう思想の差異があるのかはわかりませんが、とにかく「アフリカ的段階」という概念の規模の大きさというか射程の長さというものがわかる。人類がアフリカのタンガニーカ湖のあたりで始まったという(タンガニーカ湖というのはアフリカの南東部にある世界第2位の湖だそうですが)そのことの信ぴょう性は分かりませんが、もし正しいのだとすればアフリカの人々がいまもなお原始的な暮らしを保存していることと、彼らが人類の正嫡だということとのあいだには関連があるんでしょうか。興味の尽きないことです。
10万年の人類史の以前には数億年の生物誌というものが控えています。そして1万年くらい前から急速に進化なんだかトチ狂ったのだか知りませんが変化した人類の最先端にアナタや私がいる。最先端って言われても(*^-'*)>って感じでしょうが、そうなんだからしょうがねえじゃん。しかしそのあなたや私だってわずか何十年かまえにはお母さんの胎内にいて、生物誌の発展を経て出産され、今に至る。それで檀蜜がエロいとかなんとか言ってるという。しつこい?
そうしたことのスケールの巨大さというものを現在の倫理的な課題にぶつけると、そしてそれを宗教的なものではなく思想として捉えることができるならば、それは親鸞の正定聚の位という考えの現代への意味ということになるような気がします。それがたとえば理論と実践のなんちゃらというような狭苦しい目的意識から私たちを解放する。老いて床を這いずってパソコンの拡大された文字で書物を読んで、しゃべり言葉で最後まで思想を語り続けた吉本隆明の、最後の吉本の胸中にあったもの。それを求めて、また解説を書いてみます。では今日の日はさようなら。