だが我々は生存そのものを、生存そのもののうちに忘却することが出来る。これが救済のすべてである。(断想Ⅴ)

これは生きているということを特に意識しないで生きているということじゃないでしょうか。ということはいずれは死ぬということも意識しないで生きているということです。わたしたちはなんでいずれは死ぬのに、そのことに恐れおののかずにのほほんと生きていられるのか。「檀蜜って色っぽいよなデヘヘヘヘ
とかいってのうのうと暮らしているのか。それはキルケゴールのいうように絶望の姿なのか、吉本がいうように救済のすべてなのか、よくわかりませんが、それは私たちが自分たちが考えている以上に無意識に生きていることだと思います。


おまけです。
「ハイ・エディプス論」(1990言叢社刊)より        吉本隆明

僕はもう乳児までの時期に、パラノイアというより、全ての分裂病までにいたる異常の経路はできちゃっている、とおもいます。