僕は僕の歩みを決定する。だが他人にとつて僕の歩みだけが僕だ。これは魔法のやうに僕を怖ろしくさせる。(序章)

これはですね、人は何かをしようという動機をもって行動するけれど、思うようにはいかないわけで、その行動の結果は動機とはかけ離れたもにになることが往々にしてあるということだと思います。それは現実というものがあるからで、現実と格闘し現実によって歪曲させられていくのが行動の結果です。そして周りの人たちは目に見える結果の連続としてしかその人を見ない。よっぽどその人の内面まで見てくれる人以外には、その人の隠された動機まで視ることはないものでしょう。そのことが怖ろしいと吉本は言っているんだと思います。なんで魔法のようになんておおげさなことをいうかというと、たぶんこの動機と結果のあり方のなかに「誰もわかっちゃくれねえよな」という個人的な嘆き以上に膨らませることができる人と人との関係の原理を見つけているからだと思います。どこかで吉本は、ある時(自分しかわからない内面を自分が抱えているとしたら、道行く人々も同じではないか、誰もが外側から見ただけではわからない内面を抱えているのではないか)ということに気がついた、というようなことを書いていました。これは当たり前といえば当たり前のことであるが、そのことに気がついた時(人間というものがわかった)気がしたと吉本は述べていたと思います。さらに敷衍すれば歴史というものも外側から見た結果としての観点にすぎない。もし動機としての内面の歴史というものが成り立つとすれば、それはどういうものになるだろう、というような考えも吉本のなかにありました。内面としての歴史、あるいは文字以前の歴史も含めた人類史。それを描くことが、にんげんの歴史を初源からぶっ通すということになるのだと思います。
そのためにも「母型論」的な追求が必要になるわけです。ではここらで解説のほうは勘弁していただいていつものテーマのほうへ移りますが、何か問題でも?
私たちは共同体のなかで悩む。悩んだり心配したり怯えたりして、しまいには部屋のなかから外へ(つまり共同体へ)出ていけない人も出てくる。心というものが母親との関係で第一義的には作られていくとしたら、母子関係というものと共同体といういっけんかけ離れたものはどういう関係にあると考えたらいいのか。そこで吉本は乳胎児期に始まる母子関係を二つに分けて考えます。一つは母親の個人としての内面が乳胎児に刷り込まれるという側面です。吉本はまず乳児期における母親の授乳において、異変が起こる場合、つまり後々子供の心に傷が残るような母子の心の擦れ違いが起こるケースを三つに分けて書いています。これは「母型論」ではなく「心的現象論」の本編に述べられています。要約しますと①②③のケースともに授乳はするけれどゆったりとした愛情のこもった心で授乳させていないケースです。①は露骨に投げやりで冷たい態度で授乳するケース。②は表面上は乳児を大切に優しげに扱うけれど、内面では冷たい嫌悪感を乳児に感じている。それは抑圧しているので母親は乳児にはわからないと考えている。しかし乳児は母親の無意識の嫌悪感を刷り込まれながら乳を飲んでいる。③は乳児に対する嫌悪感があるというわけではないが、生活が忙しく追い立てられるような状態で、早く授乳から解放されたいという不安定な気持ちで乳をあげているケース。この大きくは三つに類別したケースは母親によってさまざまな混合された表れかたをするから千差万別の母子関係の傷のあり方となる。そしてこの傷はやがて成長していく子供において千差万別の心的な異常として現象していくと考えられます。
ところでこうした母親と乳児との閉ざされた一対一の関係のあり方の側面だけでなく、もう一つの側面を吉本は提出します。それは母親が乳児に刷り込む共同体のあり方という側面です。ここでいう共同体は現在の共同体ではなく、未開または原始またはアジア型の共同体です。吉本は母親が乳児にそうした古い共同体のあり方というものを刷り込む役割を負っていると考えています。こうした観点について吉本が最初に取り上げるのはG・ベイトソンというアメリカの文化人類学者です。ベイトソンはバリ島の母子関係を研究して「高原状態」という概念を提出しています。「高原状態」とは何か。まず、バリ島では母親が男の子供のおちんちんを引っ張ったりして性的に戯れるんだそうです。すると男の子は興奮してくる。そして母親に対して対等の異性のようにしがみついていく。しかし母親は子供が性的にクライマックスに達しそうになると戯れをやめたりそっぽを向いたりしてはぐらかしてしまうんだそうです。これがバリ島に普遍的にみられる子育ての習俗だとベイトソンは述べているそうです。こうして育てられた子供は性的なクライマックスの代わりに性的な「高原状態」を持続させることになります。クライマックスがあって降下していくのではなく、いわば「ハイ」な状態が続くことを「高原状態」と呼んでいるわけでしょう。吉本はもしこうしたやり方の子育てが西欧的な文明社会で行われたとすれば前アドレッセンス期(前思春期)に近づくにつれて強迫神経症や性的不能や暴力症にかかったりする可能性が強いといっています。しかしバリ島においてはそういう個人的な精神障害になることはない。なぜならまわりの子供たちもみんな同じようにして育てられ、それは歴史的に続いてきたものだからバリ島の共同体の制度の形も社会慣行の規範も文化や習俗の形もこうして形成された心的な「高原状態」に見合うようにできあがっているからだということになります。つまり子育ての形が共同体のあり方と相互に関係しあっている一つの典型をベイトソンは提出してくれたことになります。
バリ島での子育ての習俗が「高原状態」型の共同体を生み出す。また「高原状態」型の共同体はバリ島の子育ての習俗を持続させる。吉本はこのベイトソンの指摘に示唆をうけて、子育てのアジア的なあり方というものを追求しようとしています。アジア的段階の子育てのあり方とアジア的段階の共同体のあり方の関連性を追求し、そのなかにこのバリ島の「高原状態」のあり方も配置してみようというわけです。そこで日本のアジア的段階における子育ての習俗が生み出す日本の共同体のあり方の解明というテーマに進みます。それを書ききる時間がもうないですから、次回にして、もう少しバリ島の「高原状態」の社会のあり方を補足します。
まずわかりやすいのがバリ島の音楽や演劇に子育てのあり方が生み出す心的なエネルギーの「高原状態」が与えている影響です。私はバリ島に観光に行ったことがありますが、確かに芝居小屋などで披露されるバリ島の音楽や演劇はえんえんと波のように続いて行ってクライマックスがないんですよ。それは見たり聞いたりするとすぐわかります。クライマックスに至りそうな高まりがありそうなんだけど、なんとなくまただらだらとそれが高まりきらずに持続する感じ。それは体験すると一目瞭然だと思います。文化芸能だけではなく、制度や慣習としての共同体のあり方としても「高原状態」が存在するそうです。ベイトソンが述べるところでは、喧嘩をするときには首長の代理人のところに届け出るんだそうです。「あいつと喧嘩します」という届け出をするわけですね。それでその喧嘩状態は「高原状態」として公的に持続するように共同体のあり方ができているらしい。また戦争についても敵対する共同体が相互に壁や堀を築いて戦争が高揚しないようにするそうです。また隣同士の部族共同体でも、境界のところに、流浪民や共同体から追放された人々だけが住む中間地帯を作って対立を緩和するそうです。またベイトソンは「高原状態」は忘我の状態や喧嘩の状態の持続と関連すると述べています。吉本は、単純化すればバリ島の住民はいつでも睡眠と覚醒の中間状態にあるといっています。
共同体のメンバーであるあなたや私も共同体の当たり前の習俗となっている子育てのなかで育ち、当たり前のように共同体の仕組みや文化になじんでいく。そのことをもっと高いところから見下ろす視線をもってとらえるとどうなるか。てなことで次回に続きます。