「一貫せる行為と思考とを要しないところに、方法は必要ではない」(方法について)

自分のプライヴェートな体験とそれが通過した自分の生活圏というものを考えます。まずは自然な思考の働く範囲と対象は、そうした身の回りの環境や体験でしょう。自分の通った学校や、暮らした町や、働いた会社やお店。家族、友人、恋人、近所の人々。その中を通過してきた自分の経験と今も経験しつつあること。それが誰にとっても重要であり、痛切であり、利害に関わり、愛憎に関わるミクロコスモスです。
この生活圏の外側に、国家とか世界とか社会とかいう世界が広がっています。その世界は自分の生活圏から直接目に見えないわけですが、多くの影響を与える世界です。一番極端な例では赤紙一枚で、家族がどうであろうが仕事がどうであろうが男一匹を生活圏から引きずり出し、殺し殺される戦場に向かわせることのできる世界です。
この生活圏とその外側の世界の関係をどうつかまえたらいいのか、というのが吉本がこの文章のような考察をノートに書きとめている時に心を占めている問題だと思います。つまりそういうことが前提にあります。それが分かると分かりやすくなってくると思います。
この外側の世界が戦争によって吉本の人生を踏み潰したわけです。踏み潰されてはじめて、吉本は自分が外側の世界を把握する方法、つまり世界認識の方法を持っていなかったことに愕然と気づきます。今もそうであるように、戦争中も日本の軍部のふりまくイデオロギーがあり、敗戦までの吉本はその軍国主義を信じていました。日本の軍国主義イデオロギーもひとつの世界認識の方法ではあるわけです。そしてそれを今頃になって再評価しようという人たちも現れています。しかし当時の吉本にとって重要だったのは、自分の信じた軍国主義をその論理も内面の感情までも含めて、敗戦になったからといってそれをサラリと捨て去るのではなく、いわばそれまでの軍国少年としての自分の世界への認識を歯車の一つ一つにまで解体して、そこからもっと徹底したもっと大きな世界認識を作りたいということだったと思います。
すると外側の世界を把握するには論理が必要であり、勉強が必要であるということになります。一貫した行為と思考が必要というのは、そういう背景があるから出てくる言葉なのだと思います。世界認識の方法を求める吉本はマルクスに出会い、深甚な影響を受けます。しかしマルクスに影響を受けた者は戦後たくさんいました。吉本もまたそういう戦後になってマルクスを読んでハマった多くの若者と同じだったと言えます。そうした雨後のタケノコのように輩出したマルクス主義者、あるいは左翼というものの中で、なぜ吉本のマルクス理解や左翼性が孤独であり、独特であり、すばらしいかと言えば、それはこのノートに見られるように、方法について考え詰める姿勢が貫かれるからです。なぜ考え詰めるしかないのかと言えば、それは吉本が自分の生活圏で生きてきた内実を一切隠すことも切り捨てることも飾ることもしたくないからです。それはきっと文学が吉本に教えたことなのだと思います。
吉本が戦争中、戦後に傾倒した文学者。高村光太郎太宰治宮沢賢治夏目漱石や、また外国の文学者たちの優れた表現の中にあるものは、自分のしてきたことを自分に隠すなということです。つまり生活圏のミクロコスモスの深さを最大限に保存し、そして巨大な外部世界を観念として世界認識として把握する、それが吉本の求める世界認識のありかたであって、そのためにはかって誰も発見できなかった世界認識の方法を見つけ出すしかなかったのです。解説してるだけで疲れてくるような、重すぎる荷を負って若い吉本は孤軍奮闘し、次第に精神的に追い詰められていきます。